2015/3/2 | 投稿者: 鹿苑院

千利休はキリシタンであるという説がある。その根拠としては、利休が考案したにじり口はキリスト教の「狭き門から入れ」の影響であるとか、濃茶の回し飲みや茶碗を茶巾で拭く作法がミサでワインを入れた聖杯を扱うそれに似ているということが挙げられている。

ただ、オレはこの説には否定的である。にじり口に関しては船頭が入る船の入口をヒントにしたという定説がはっきりとあるし、回し飲みや茶巾に関しては確かにミサにヒントを得ているかもしれないが、それがキリシタンだという根拠にはならない。

利休の時代にはすでにスペイン・ポルトガルの宣教師が都に南蛮寺を建てて布教をしていたので、利休がキリスト教文化に触れることはあっただろう。ミサを見学したことぐらいはあったかもしれない。その場で例えば聖杯を拭く作法を見て、なるほどこれは合理的な拭き方だと思ったら取り入れるぐらいは別にキリシタンにならなくてもあり得ることで、その程度の根拠でキリシタン疑惑が湧くのならクリスマスパーティーをやっている奴は全員キリスト教徒になってしまう。

だいたい、切腹の理由にもなった大徳寺への金毛閣寄進はどうなるのだ。当時の宣教師は日本の寺院や神社を破壊することをキリシタンに命じていた(大友宗麟などこれを真に受けて領内で大々的に破壊活動をしていた)。利休がキリシタンだとするのなら、寺院の破壊に参加せずあべこべに金毛閣を建てた説明がまったくつかない。
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