2015/2/17 | 投稿者: 鹿苑院

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日本三景とはよくいったもので、心に響いた度は長年の念願だった広島城よりも厳島神社の方が大きかった。満潮の時には海に浮かぶ神社などと、そんな壮大な構想を誰が考えたのだろう?(平清盛だけど)

本などでは「厳島」というのが一般的だが、広島では「宮島」と呼ぶ方が圧倒的に通りが良いようだった。お土産に買った昔話の本では「宮島の本当の名前は厳島という」と書いてあった。なるほど、「宮島」というのは対等な別名ではなく通称なのか。オレもこの旅の間は「宮島」と呼んでいたが、ここでは呼びなれた「厳島」で統一する。

最初に感動したのは、フェリーで上陸してすぐに宮尾城のあった丘が立っていることだった。要害山と名が付いているが数分で登れる低い丘である。ここは陶晴賢を厳島におびきよせるために毛利元就が築いた囮の城である。数日の陶軍の猛攻に耐え抜いたのだが、この低さでよく耐え抜いたものだ。他の観光客は誰も登っていなかったが、今回の旅行はそもそもが毛利紀行なのでオレがスルーするわけがない。途中の山道で鹿の群れに遭遇した。

厳島神社に向かう参道は土産物屋が並んでいて楽しい。時々鹿が紛れ込んでいるが、奈良の鹿と違って人には興味を示さない。鹿せんべいのようなエサを売っていないからだろう。餌付け自体禁止されている。

厳島神社の朱塗りの鮮やかさと海の青さ、さらには天気に恵まれて空の青さ。この組み合わせに心が晴れ晴れとした、爽快な気持ちになった。
「へうげもの」で毛利輝元がわび数寄への想いを語るシーンで、「満潮の大鳥居よりも干潮の大鳥居のわびた風情に惹かれる」というようなことを言っていたが、いやいや厳島神社自体が華であってわびの例えとして出すのはちょっと違うんじゃないかなあ…と思った。

毛利元就は厳島神社への信仰が篤かった。この神社は平家の氏神であって、毛利家の祖は源頼朝に仕えた大江広元なので敵方といえなくもないよな…と思ったが、まあそこは気にせずにおこう。
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