2015/1/10 | 投稿者: 鹿苑院

禅問答は難しい。有名なものがいくつかあるが、問いと答えがまるきり噛み合っておらず、なぜこれが正解なのかと思うものばかりである。こればっかりはどんな本を読んでも解説など書いていない。知りたきゃ悟りを開くしかないのだ。
例えばこうだ。

Q「仏とは何か?」
A「ひからびたウンコ」

Q「達磨大師はなぜインドから中国へやってきたの?」
A「庭の柏の木」


この一見ちくはぐなQ&Aを自分なりに解釈してみた。禅問答は頭で考えてはいけないとされているが思いっきり頭で考えたものであり、おまけに禅をまともにやったこともない門外漢なので、その道の専門家からすると噴飯物かもしれないがまあ堪えていただきたい。


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これは何?と聞かれたら大抵の人は「ひまわり」と答えるだろう。しかし、我々がひまわりと思っているものはキャンバスに黄色く色を塗った部分に過ぎず、正確に問いに答えるなら「絵」と答えるのが正しい。我々は黄色い絵の具の部分を勝手に抜き出してひまわりと呼んでいるに過ぎない。それは執われている心の為せる業である。

執われを離れて悟りを開いた人にとっては万物がそれぞれ別々の物ではなく、宇宙(という言い方が正しいかどうかは自信がないが、「この世のすべて」という意味に受け取って欲しい)というキャンバスに描かれた一枚の絵のように思えるのではないだろうか。
自分も他人もリンゴもミカンも犬も猫も釈尊も達磨もウンコもおしっこもすべて別の物ではなく、宇宙という一枚のキャンバスの中の絵の具の部分に過ぎない。そういうことを暗喩したいから一見まったく関係無さそうなものを以て答えとするのではないか?

もしこのひまわりの絵にネズミが一匹描かれていたとしよう。「このひまわりはどんなひまわり?」と問われたら、「この絵はどんな絵?」と問われたのと等しいので、「ネズミの毛は灰色です」と答えても間違いとは言えない。

こういうことではないかな?と愚考したことをつらつらと書いてみた。これが正解だ!と堂々という自信はまったくない。
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2015/1/10 | 投稿者: 鹿苑院

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このフィフィさんのツイートに賛同。確かに銃まで持って新聞社を襲撃して記者を殺傷するというのは尋常の行動ではないけど、襲撃された新聞社もいわゆるマスゴミだったという可能性も考慮しなければなるまい。そうでなくてもキリスト教文化圏のイスラムをおちょくった風刺画はこれまでにも度々問題になっているのだから。

まあイスラムだってこういう「絵による暴力」の一方的被害者というわけではなく、かつてスリランカで津波が起きて大量に死者が出た時、少なからぬイスラム教徒の足の裏には仏画が刺青してあったという。ブッダを踏んづけて歩いているわけだ。さらにどこの国かは忘れたがイスラム教徒の女性用下着の股間の部分に仏画を描いていたので仏教側が抗議したということもあった。こういう低俗なことはお互いやめましょうと言えないものか。
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