2013/9/20 | 投稿者: 鹿苑院

いわゆる名古屋メシの中で、オレが大好きでよく食べるものがある。昨日初めて、それを開発した元祖の店に行ってきた。有名な店なのでお客さんも多かったが、肝心の味は正直言うと「普通だな…」だった。自分が住む田舎町の適当な店で同じものを注文してもこのくらいの味は出てくる。そして思った。ああこれは手塚治虫の漫画と同じことだと。

初めて手塚治虫の漫画を読んだ時、平凡な印象しか受けなかった。そしてそのことに焦った。「おいおい、あの手塚治虫の作品だぞ。感動しないわけないじゃないか。これを読んで感動しないなんて自分は感覚が鈍いのではないか」、そう思って必死に感動しようとしたが無駄な足掻きだった。それまでに自分が読んできた無名の漫画家の無名の作品の方が面白かったし、内容もシリアスで感動できたから。そのことは前にも書いた。

今になって考えてみれば当たり前のことだと思う。漫画に限らずどんなものでもそうだが、理論や技術は進歩していくし、客の目も肥えていく。それに伴い質が向上していく。
例えば自分が癌になったとして、華陀やヒポクラテスのような歴史に残る名医が墓から生き返ったとする。ではオレは彼らに自分の体を任せたいかといえば答えはノーである。彼らは現代の医学知識を持ち合わせていないからで、現代の無名の医者の方がよっぽど安心して任せられる。
手塚治虫はそれまで軽いお笑いしかなかった漫画にシリアスなストーリーを持たせた最初の人で、その功績は不滅だが、あくまでも元祖というに過ぎない。何十年も経つ間に漫画の技術も向上し、読者の目も肥えているのだから手塚作品より現代の無名の漫画の方に分があるのは当然のことなのだ。それを無視して手塚治虫は素晴らしいが今の漫画はカスなどと言い張るのは、バレンティンの本塁打記録になんとかしてケチをつけて王貞治の記録を守ろうとするある落語家の老醜と同じではないか。

元祖が一番優れているとは限らない…そう思いながら腹八分(他の店より量が少なかった)でお代を払い、店を後にした。
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