2013/8/22 | 投稿者: 鹿苑院

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三浦展著「非モテ!―男性受難の時代」、もうすぐ読み終えるが非常に良い本だった。80年代から現在までの社会の変化と非婚・晩婚化の関連を述べている。特に第6章と7章が秀逸で、「男が女を選ぶ時代」から「女が男を選ぶ時代」に変化したこと、その過程で「三高」だの「三低」だのと勝手な言い草で男を品定めし、手前勝手な批判を繰り返してきた女への苦言を呈する形になっている。そして、「男性保護法」を制定しようという結びとなる。

ただ、オレと同じ世代が読めば特に目新しい知識は実は載っていない。「そうそう、わかってらっしゃるね」と頷いて溜飲を下げるための本にしかならない。
だからこそ、シニア世代に読んでほしい本である。自分の生きてきた時代と違って、今の若者はこういう苦労をしているのかと知ることができるだろう。「早く結婚しろ」とつい我が子に言ってしまう親は、これを読んで自分がいかにムチャな要求をしているのか実感してみてほしい(幸いオレは親にそういうことはあまり言われないが)。


本書の内容とは直接関係無いが、この前のショムニを見て思ったこと。
「セクハラはされた方がセクハラだと思ったらセクハラ」なる曖昧で恣意的で一方的な暴論がまかり通っているのは何故か。じゃあ例えば嵐の二宮とオレとでは同じことをしても片や無罪で片や有罪だったりすることになるわけだが、近代法治国家としてそれはおかしいのではないか?
「黒猫を飼っていたら魔女容疑で逮捕。魔女かどうかの判定は近所の人が魔女だと証言したら確定で火炙りになった」と聞いたら現代人は中世ヨーロッパの魔女狩りってずいぶん理不尽だったんだなあと思うが、「『髪切ったね』って言ったらセクハラ容疑。セクハラかどうかは言われた方がセクハラと思ったら確定で処罰された」と聞いたら数百年後の人類は平成のセクハラ狩りってずいぶん理不尽だったんだなあと思うことだろう。
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