2013/8/11 | 投稿者: 鹿苑院

オレの知る限り最も高貴な料理は餃子かもしれない。今ではすっかりおなじみのお惣菜だが元は中国の宮廷料理である。「餃」は「末永く」という意味なのだが、これに因んでこんな話がある。

中国の歴代皇帝は王朝が細く長く続くようにと願いを込めて旧正月にしか餃子を食べなかったのだが、明を滅ぼして新王朝「順」の皇帝に即位した李自成は餃子の美味にはまってしまい、毎日食べ続けた。このため餃子のご利益を早く使い切ってしまい、順は北京入城からわずか40日で清に追われ滅亡してしまったという。

皇帝でさえ一年に一度しか食べられなかった餃子をいつでも安い値段で食えるのだから現代はありがたい。学生時代には1パック130円の餃子を2〜3パック買い、餃子ばかりを何十個も食べて一食済ませたことも何度かあった。中国人は普通にそういう食べ方をするが、これが日本の貧乏学生の節約のための作戦だったと聞いたら李自成はどんな顔をするだろう。
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2013/8/11 | 投稿者: 鹿苑院

唐の滅亡後、中国は小国が乱立する時代に突入する。いわゆる五代十国の時代である。その中で後周という国に英主が現れた。名を柴栄という。
この柴栄を織田信長、彼の家臣の趙匡胤を豊臣秀吉、その弟の趙匡義を徳川家康に例えることが多く、そう言われてみれば確かにピッタリでもはやそうとしか思えなくなる。

柴栄と信長が似ているところといえば、仏教への弾圧である。他宗教からの要請によるものではなく、経済・国家統制上の理由(柴栄は脱税・兵役逃れの防止、信長は一揆鎮圧・政治への介入阻止)でそれをやったところも似ている。なお、当時は銅が不足していたため、柴栄は銅の仏像を溶かしてこれに当てたが、それを諌めた家臣にこう答えている。「仏像は仏そのものじゃないし、もし本当の仏だったら衆生のためにその身を差し出すのを厭わないだろう」と。叡山焼討の際の信長の「光秀は知らぬらしい、あれは木と金で出来ておるのだ」という発言を思い出させるものがある。

柴栄が病で死ぬと、後を継いだのは7歳の子供だった。秀吉と違って趙匡胤には亡主の天下を簒奪する気は無かったのだが、彼が酔い潰れて寝ている間に兵たちが皇帝専用の黄色の衣を着せて無理矢理に擁立してしまった。簒奪の後は前政権の皇帝とその一族は殺されるのが普通だったが、匡胤はこれを行わず、貴族として厚遇している。彼は後に中華を統一して宋を建てるが、宋の滅亡までこの厚遇はずっと続いた。この一族に対してだけでなく、無駄な殺人を非常に嫌ったという点も秀吉(ただし羽柴時代までに限る)に似ている。

趙匡胤と弟の趙匡義は仲が良かったが、趙匡胤の死は謎に包まれている。病床にいた匡胤の見舞いに匡義が駆けつけた途端に死んでいるので、匡義が兄を毒殺したのではないかという噂も根強くあり、その確証は無いにせよ、匡胤には子がいるのに弟の匡義が帝位を継いでいること、その匡胤の子は匡義によって殺されていること等から考えてまったく荒唐無稽というわけでもない。匡胤を秀吉とすればその子は秀頼であり、これを殺して天下を握った匡義が家康というのはうなずける。ただし、匡義の子孫は後に断絶し、その後を継いだのは匡胤の子孫であり、この血統が宋の滅亡まで続いた。
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