2013/6/30 | 投稿者: 鹿苑院



スターチャイルドはなんとも活きのいいルーキーを獲ったものだ。歌い方に特徴があって(無論良い意味で)、この人の歌は頭に残りやすい。何度かリピートして聴きたくなる中毒性がある。ロシア語ペラペラでソ連軍の戦車とスターリンについて語り出したら止まらなくなるという個性もおおいによろしい。
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2013/6/30 | 投稿者: 鹿苑院

楠木正成最期の地・神戸の湊川に行ってきた。NHK大河ドラマで正成を演じた武田鉄矢さんが言うには、湊川の戦いで楠木軍の圧倒的少数にも関わらず何時間も戦闘が続いたのは、足利軍の中にも正成を慕い、殺したくないという気持ちが蔓延していたからではないかという。

同じ大河ドラマに尊氏は正成を兄と思って慕っていたという台詞がある。史実でも尊氏は正成の首を丁重に弔って楠木家に送り届けているので、これは本当だろう。一方の正成も、湊川への出陣の直前に尊氏との和議を提案している。
正成が提案した尊氏との和議は頑迷な公家たちに却下されてしまうのだが、正成の思い描いた理想はこういうことだとオレは思う。すなわち、後醍醐帝が尊氏と和議をして足利家による幕府を認め、政治をこれに委任する──。

鎌倉幕府を倒し、やっと天皇親政の時代を作ったものの、あまりにも現実と乖離しすぎたムチャクチャな政治になってしまい、やはり現場を知っている武家による政権が必要と正成も気が付いていたのだろう。それは尊氏も気が付いていて、つまり正成と尊氏は心情的には同志でさえあった。正成の理想は尊氏の理想でもあった。

それなのに敵味方に分かれて戦ったのは、正成の律儀さが原因である。良くない政府とわかってはいても自分を抜擢してくれたのは後醍醐帝であり、これに殉じる気だったのだろう。「オレは義を通して死ぬけど、後は頼んだぜ、尊氏」という気持ちだったのではないかと思う。


学研の歴史まんがでの正成最期のシーン。

正成 「どうやらまわり一帯は、敵にふさがれたようや。脱出の策は一つ。わしが敵を引きつけとくよって、おまえらは敵兵になりすましてぬけるんや。いまなら十分間に合う。」
雑兵1 「あほぬかせ! おやっさん一人のこしていけるか!」
雑兵2 「そや! 死ぬんなら、みんないっしょや!」
正成 「おまえら…。どこまであほんだらや。」
雑兵1 「あの世まであほんだらや!」
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2013/6/28 | 投稿者: 鹿苑院

夕顔と瓢箪が同じ植物だということを最近知った。正確には瓢箪の中から苦味の少ないものを選抜して栽培したのが夕顔。苦味成分には中毒性があるので、まれに夕顔を育てるつもりがたまたま苦味が強くなってしまい、我慢して食べたために中ることがあるらしい。

我が千葉平氏の初代・平良文公は今わの際に嫡子・忠頼公に「わしを懐かしく思ったら夕顔の実を割ってみよ。その中にわしがいるから」と言い残した。言いつけを守って割ってみたところ、中から観音菩薩像が出てきたという。これは「夕顔観音」と呼ばれて秘仏になっているが、このため千葉平氏にとって夕顔は神聖な植物で、食べてはならないとされる。まあオレはあまり気にせずかんぴょうを食べているが。

宮中で相撲大会が開かれる時、西の力士は夕顔の花を、東の力士は葵の花を髪に挿して土俵入りする習わしだった。夕顔が豊臣家の象徴である瓢箪とイコールであると考えると、徳川家の家紋が葵であるのはなんとも面白い巡り合わせである。
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2013/6/27 | 投稿者: 鹿苑院

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必要以上に外国語を使いすぎているとしてNHKを訴えたじいさんを応援したい。まあなんで金を請求しているのかはちょっと不思議だが。

年寄りだからわからんだけだろというわけでもなく、コンシェルジュとかコンプライアンスはオレもよくわからなかった。なんか、なんでも横文字にしたらかっこいいと思ってる馬鹿な中高生を見ているみたいであまり気分がいいものではない。一昔前のこち亀でギャグで使われていたような外国語だらけの言葉が溢れている。
ただ、外国語のままの方がわかりやすい言葉もあるのは事実。コーヒーのことを「中近東式煎り黒豆煮出し汁」と呼んでいたらやっぱり滑稽なわけで。要はバランスが大事ってことだが、そのバランスが今は崩れているように思う。

前にも書いたように、外国語はただの言語。日本語と比べて特別かっこいいわけでもかっこわるいわけでもない。かっこいいと思って外国語を乱用しているやつがいたらそいつがかっこわるい。
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2013/6/26 | 投稿者: 鹿苑院

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東北地方の山奥に、突如として現れた謎の野獣! 次々に犠牲になる人間たち! その犯行現場には、幻の絶滅動物ニホンオオカミらしき足跡が! そしてその背後に蠢く闇の正体とは何か!? 次々に襲い来る謎!謎!謎! 最愛の妻を失った孤高の動物学者・城島の決死の追跡が今始まる!

集英社文庫が総力を挙げてお送りする、大長編スペクタクル冒険劇、「漂泊の牙」、大好評発売中!!
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2013/6/26 | 投稿者: 鹿苑院



一昨日のテレビ朝日「報道ステーション」での一幕。リアルタイムで見ていたオレは
「今、サラッと凄いこと言わなかった? 公然たるやらせじゃん。こう言えって圧力掛けてるってことじゃないの?」
と言ったのだが、傍らにいた父に「なんでおまえはそこまでひねくれた見方をするんだ?」と呆れた顔で言われてしまった。しかし、やはりネット上では大きなニュースになっていた。

繰り返してスタッフの指示ということを強調しているので、うっかり言ってしまったという感じではない。局のあまりの捏造体質に嫌気が差した古館さんが突如反旗を翻したのではないかという見方もあり、「古館を見直した」という意見も多く出ている。
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2013/6/25 | 投稿者: 鹿苑院

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…らしいのだが一瞬でわかった。オレの頭脳はもしかしてチブル星人並みか?
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2013/6/24 | 投稿者: 鹿苑院

織田家の本城といえばどこを思い浮かべるだろう?
信長以前からの歴史を思えば清洲城というべきかもしれない。信長の最後の居城という意味なら安土城だ(もっとも信長は最終的には大坂に城を造る気だったらしい。この計画は秀吉によって実現された)。

ただ、当時の人は岐阜城を織田の本城と考えていた節がある。安土移転の際、信長は岐阜城とともに織田家の家督をも信忠に譲っているので、実質はともかくとして名目上は織田家当主の居城は岐阜城のままだったし、清洲会議によって織田家の後継者に選ばれた秀信も岐阜城に入っている。まあその時には安土城は焼失しているし、もしあったとしてもそんな巨大な城を秀吉がくれたとも考えづらいが。

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円徳寺所蔵の、当時の岐阜城の絵。今は山頂に天守があるだけだが、この頃は全山が要塞化されていたことがわかる。
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2013/6/23 | 投稿者: 鹿苑院

鳥取城は室町以来の名門・山名家の居城だったが、織田信長の勢力が中国地方にも伸びてきた時、織田方に付きたい山名豊国と毛利方に付きたい家臣たちとの間に対立が生じ、豊国が退去する。家臣たちは毛利家に対し、吉川姓の大将の派遣を願った。毛利家の山陰方面軍司令官は吉川元春なので、これ以上確かな人選は無い。これを聞いて自ら志願したのが吉川経家。

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自らの死を覚悟しての志願であったらしく、自分が討死した時のための首桶を持参して入城している。「三国志」に龐徳が関羽との決戦に際して棺を用意して出陣するシーンがあるが、あるいはこれに倣ったのかもしれない。

籠城戦は悲惨なものになった。羽柴秀吉の徹底した兵糧攻めにより鳥取城はたちまち飢餓に陥り、牛馬はおろか木の根、ねずみ、果ては死人の肉まで争って食うという有様。200日以上粘ったがついに惨状を見かねた経家は切腹開城を決意する。
秀吉としても経家を殺したくなく、むしろ山名の旧臣たちを首謀者として切腹させたかった。彼ら自身もそれを申し出たのだが、経家は、自分は信頼されて派遣されてきた大将だから責任を取らなければならないと頑強に主張し、栄養失調でフラフラのはずなのに気力を振り絞って見事に切腹する。

なお経家の子孫は鳥取藩池田家に仕えたのだが、安政年間に何かの事情で切腹したらしく、彼の7歳の息子はその切腹に立ち合い、武家の悲惨さに嫌気が差して江戸に上り出家した。
この人物の孫の顔を我々は数年前まで毎週日曜の夕方に見ていた。この人である。

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2013/6/23 | 投稿者: 鹿苑院

先日行われた、「林原めぐみのTokyo Boogie Night」1100回突破記念公開録音のライブパートの演出は奇抜なものであったらしい。会場となった中野サンプラザのカーテンをすべて取り払い、機材が丸見え。倉庫かこれはと思うほどの殺風景だったという。無論わざとである。

この演出に込めためぐさんの意図は「何も無いところからでも始めることができる」というもの。そういえば「feel well」という曲には、

大丈夫だよ なんとかなるさ人生なんて
もうだめだよと思った時が本当の始まり


という歌詞があるのを思い出した。

ライブ終了後、めぐさんが語ったメッセージもまた良い。
「何も無いということは、本当に何も無いということではない」──。
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