2013/2/5 | 投稿者: 鹿苑院

近藤勇が甲陽鎮撫隊を率いて出陣する際、「甲州百万石」という言葉がしきりに出てくる。実はこれが昔から疑問だった。武田信玄の本とか読んでるととんでもない貧しい国みたいに書かれてるのに、あの甲斐が百万石もあるのか!?

周防・長門2ヶ国を合わせても37万石程度である。さらに関ヶ原直前の毛利輝元の石高で120万石である。これは中国地方のほぼ全土に当たる。それなのに甲斐1国で100万石なんて無理がありすぎる。それが本当なら武田信玄もわざわざ隣国を侵略しようと思わなかったのではないか。
調べてみたら、武田の最大領土で120万石と出た。甲斐100万石が本当なら信濃、駿河の全土と上野の一部の合計でわずか20万石になってしまう。そんなバカな!

なお、1598年の検地の結果では甲斐は23万石弱となっている。これなら辻褄が合う。
そうすると甲州百万石という数字はどこから出てきたのだろう? 柳沢吉保の時点ですでにこの言葉は出てきているようだが、平和な時代になって農業技術が進歩して米の取れ高が上がったのだろうか? それとも単に誇張表現か?

もし誇張表現だとしたら、甲陽鎮撫隊は負けて正解だったかもしれない。なにしろ出陣前に近藤は10万石、土方は5万石、沖田永倉は3万石…というふうに、本当に100万石あることを前提に恩賞を決めてしまっている。戦に勝って甲州を占領してみたら23万石しかありませんでした。みなさん最初の約束の1/4の恩賞で我慢してくださいではまたひと悶着起きたのではないか。
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