2012/7/5 | 投稿者: 鹿苑院

甲斐武田軍といえば騎馬隊が有名だが、もう一つの主要兵器がある。何を隠そう、投石である。これがなかなか馬鹿にできない。刀剣による死傷率より投石によるそれの方が高いのだから。

石を投げるというのは別に武田軍に限らずどこでもやっていたことだが、武田軍の際立った所は投石専門の部隊を編成していたことである。あちこちから肩の強いやつをスカウトして投石の訓練ばかりをさせていたのだ。結果、他国の投石部隊とは比較にならぬ実力を備えるに至った。これでまずは敵を怯ませておいて、その後で騎馬隊が突撃するのが武田軍の勝利の方程式である。上杉も北条も徳川もこれには閉口したものだ。

織田信長だけはこの武田投石部隊の噂を聞いて冷笑した。鉄砲の方がいいじゃないかというのだ。
確かに効果は鉄砲の方が大きいだろうが、信長は大きなことを見逃している。もしこの信長の評価を信玄に聞かせたらこう答えただろう。
「そんな金あるかい。」

そう、伝来から数十年しか経っていない当時、鉄砲はべらぼうに高価な品だった。部隊を編成できるほどの数を揃えることができたのは、津島・熱田湊の商業権益で潤った日本有数の金持ち大名の織田家だからできることで、山間の甲斐と信濃というお世辞にも豊かとは言えない国を領有する武田家には無理な相談だったのだ。

ちなみに、長篠の戦について書いた本には武田軍が鉄砲に無関心で騎馬隊の力を過信していたように書いている物があるが、川中島の戦で既に使った記録があるのでそれは間違いだ。価値はちゃんと理解していたが、メインウエポンにするほど大量入手できなかったに過ぎない。
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