2012/4/23 | 投稿者: 鹿苑院

昨日は聖徳太子が織田信長に太刀を授ける話を書いた。実は太子からアイテムを授かったのは信長だけではない。徳川家康の象徴である金扇の馬印、あれもそうなのだ。

馬印とは本陣に置いて、家康その人がどこにいるかをはっきりさせるための目印にする物。そのため合戦を描いた絵図などでも家康の頭上に必ず描かれている。


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豊橋の聖眼寺に伝わる伝承では、
「永禄七年吉田ノ城主小原肥前守鎮実ヲ攻メ給ハントテ、神君当寺ヲ陣営トナシ給フ。則チ聖徳太子ノ宮殿ニシテ、天下泰平ノ事ヲ祈り給フ。或夜御夢中ニ雙扇ヲ感得シ総フノ御奇瑞アリ。夫ヨリ一扇ヲ以テ馬幟トシ、牧野康成先陣ニ進ム。一扇ハ当寺ニ止メテ霊法トナサシメ給フ。」
とある。

つまり、家康が吉田城を攻める時に聖眼寺を本陣とした時、そこにあった聖徳太子像に天下泰平を祈った。すると家康の夢枕に聖徳太子が立ち、金扇を二つ授けたので、一つは馬印とし、もう一つはそのまま寺の宝物になった──ということだ。
寺に残った方は後に四代将軍家綱の時代に鑑定され、家康の馬印と寸分違わぬ物であることが証明されている。

ずっと後、鳥羽伏見の敗戦後に徳川慶喜がこの馬印を大坂城に置き忘れたまま江戸に逃亡し、新門辰五郎がこれを拾って江戸まで届けたことは有名である。
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