2012/4/13 | 投稿者: 鹿苑院

猪木、北朝鮮に向かう前に税関で止められる。
よりによってこんな時期に北朝鮮に行こうとする猪木さんマジパネェ。
0

2012/4/13 | 投稿者: 鹿苑院

ようやく読み終えた。前半3/4はつまらなかったが、主人公・西門慶の死から急に面白くなった。西門慶一人の権力と世渡り上手さで成り立っていた家が、その死後から始まる遺族の乱行(特に娘婿の陳経済)によって一人また一人と櫛の歯を引くように消えていき、家が崩壊に向かっていく様が、人間の業をよく表していて興味深い。

「続 金瓶梅」も一緒に買ったが、しばらくは置いておこうと思う。長らく金瓶梅ばかり読んでいたので、今は血沸き肉躍る日本の戦国時代が懐かしくてしょうがない。次はその方面の本を読むことになるだろう。
0

2012/4/13 | 投稿者: 鹿苑院

北朝鮮のミサイルの結果に笑ってしまった。たいして飛ばずに90秒やそこらで落っこちて終わりとはね。今頃世界中が大笑いしているだろう。みんなも一緒に笑いましょう。わはははは。
0

2012/4/11 | 投稿者: 鹿苑院

西日本のある村でのこと。その村にはお寺が二件あった。ひとつは浄土真宗で、もうひとつは厳しい修行をする宗派である。お寺を維持するために出す資金も馬鹿にならないので、どちらかひとつは廃寺にしようという話になった。

村の広場に大釜が据えられ、熱湯が沸かされた。この中にお坊さんを入れて、より長い時間耐えられる方を残そうというわけである。
先に入ったのは厳しい修行をするお寺のお坊さんで、さすがに苦しい修行に耐え続けてきただけのことはあり、熱湯に顔色ひとつ変えず悠々と漬かり続けた。
後攻の真宗のお坊さんは入る前に村人に冷水を持ってくるように頼み、その冷水を釜に注いでちょうど良い温度にしてから入り、「いい湯加減だぞ、みんなも入らんか」と言ったので、その日は村人みんなも湯につかってのんびりした一日を過ごした。

この結果、村人たちは真宗のお寺を残すことを選んだという。
0

2012/4/10 | 投稿者: 鹿苑院

韓国の88歳の大学教授が書いた論文がすごい。
親日罪があるあの国でこれを書くことは相当な勇気がいる。88歳という自らの年齢を考えて、世にあるうちにどうしても真実を言い残しておきたいと筆を執ったのだろう。その勇気と正義感を称えたい。
もう10〜20年もすればその時代をリアルタイムで知る世代はほとんど亡くなってしまうだろう。そうなれば後に残るのは李承晩が捏造した歴史を物心付いた時から刷り込まれてきた世代ばかりになる。真実を知る人物は朝鮮半島から永遠にいなくなってしまうのだ。どうかこの老教授の主張に多くの韓国人および日本人が目を通し、かつまた、この老教授に危害が加えられないことを切に祈る。

以下、引用させていただく。


私は88才です。 もう事実を話したいと思います。 [チェ・キホ伽耶大学客員教授]

朝鮮末期の私は1923年の生まれです。 もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。 それは相当な覚悟が必要です。 生命の危険も覚悟しています。 しかし、これは私の使命であると信じています。

私はソウルに住んでいました。 そして、時々、平壌や東京に行きました。 その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。
劇場に行けば映画の前に、戦争のニュースがありました。 例えばニューギニアで日本が勝った映像が流れ、拍手と万歳の暴風雨でした。 私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。 しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。 なので「親日派」という言葉は使用できません。 その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています。 「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。

韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。 朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。

韓日合邦によって「教育」 「医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。 より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」
という主張にはコメントする気持ちもなくなります。

民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。 近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。 韓国人は「日帝の虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。 歴史の真実を知っているためです。

朝鮮語でキウン「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。 1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために、財政支援を決断します。 例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。 その差額は日本が負担していました。 1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています。
0

2012/4/10 | 投稿者: 鹿苑院

パチンコ業界 「モバゲーGREEは社会悪、全力でぶっ潰す」

胸がすくニュースだなあ。悪vs悪の対決。アボラスvsバニラを思い出した。
全力で潰し合った末にウルトラマン(真っ当な人間)が生き残ったアボラスにスペシウム光線を浴びせる結果を願っております。
0

2012/4/8 | 投稿者: 弟子慈照

今日は釈迦の誕生日を祝う灌仏会の日。ただし、うちの近所の寺院ではそれを5月にやるようだ。
釈迦が4月8日に生まれたのは事実だけど、それは旧暦の4月8日であって太陽暦の4月8日ではないので、旧暦に合わせているらしい。世界的にはそれが当たり前であって、太陽暦4月8日に灌仏会をやるのは日本限定のローカルルールなんだとか。桜が咲く頃にやれば絵になるというのがその理由らしい。だから灌仏会のことを「花祭り」という楽しそうな別名で呼んだりもする。

ま、ともあれ1ヵ月間は灌仏会も甘茶もおあずけである。今日は桜だけは見てきた。
1

2012/4/7 | 投稿者: 鹿苑院



小林邦明といえばタイガーマスクの好敵手として「虎ハンター」の異名を取っているが、同じ空中殺法の使い手、ミル・マスカラスとの一戦も興味深い。
0

2012/4/6 | 投稿者: 鹿苑院

0

2012/4/5 | 投稿者: 鹿苑院

クリックすると元のサイズで表示します


「敵は本能寺にあり」

明智光秀が織田信長への叛意を表明した有名な台詞だが、これは頼山陽の創作であって本当に光秀がそういう発言をしたわけではない。本能寺襲撃に参加した明智軍の武士は後に「自分たちはてっきり信長の命令で徳川家康を襲っているのだと思っていた」と証言しているから、この時の明智軍の機密保持は極めて厳重なもので一握りの上層部にしか光秀の真意は知らされていなかったものと思われる。つまり、大勢の兵の前で「敵は本能寺にあり」と叫ぶなんてことをするわけがない。

なお、信長が本当に家康暗殺指令を光秀に下していたかはわからない。信長にとっての家康の役割は主に武田への防壁であり、その武田はすでに滅んでいるから用無しになったということも確かに言えなくもない(本能寺の変は武田滅亡からほんの数ヵ月後なのでタイミング的にも家康を消すには絶好の時期である)。
また明智軍が京に易々と入ることができたのは信長にとっても(家康暗殺という意味で)予定の行動だったからという見方もできる。

ただ、オレの意見では信長が家康暗殺を指令したとはちょっと思わない。
光秀が安土城に来た家康の接待役を「魚が腐っている」という理由で解任されたという話は、実は毒を盛れという信長の命令を拒否したからだという説もあるが、それなら後任の堀秀政が毒を盛っていたはずである。
また、武田が滅亡したとはいえまだ北条もおり、家康が完全に用無しになったとも思えない。その頃の徳川家はほぼ完全に織田家の臣下のようになっていたのでわざわざ消す意味もない。
さらに明智軍の入京云々を言うのなら、正確にはその日は家康は京におらず、堺にいた。

つまり、光秀は自軍の兵を欺くのに「信長からの指令で家康を討つ」というウソを流したかもしれず、上記の事情でそれはありそうなことでもあるため明智兵もそれをコロッと信じた。しかし信長自身は本当はそんな指令は出していない──というのがオレの観測である。
0




AutoPage最新お知らせ