2011/12/29 | 投稿者: 鹿苑院

仏教の根本的な思想の一つに因果律がある。この根本的な思想が広く誤解されているところに今日の仏教の悲しみがある。

因果律とは一言で言えば、「結果には合理的な原因がある」ということだ。
例えば、「風邪をこじらせた」という結果があれば、「寒い所に長くいたからだ」という原因を求めるのが正しい因果律の解釈である。

しかし、仏教が各地に伝来していく過程で、「合理的な」という部分だけがすっぽりと抜け落ちてしまった。その結果、「風邪をこじらせた」という結果の原因として「昔友人をだまして悪どい金儲けをしたことの報い」という全然関係ない事柄同士を(仏のミラクルパワーで)結び付ける勧善懲悪的な思想に変質してしまった。このことはなにもつい最近のことではなく、平安時代に編まれた「日本霊異記」や「今昔物語」にもうその思想は濃厚に見える。

これも道徳訓としてはそれなりの価値があるが、困ったのはこのような間違った因果律の解釈が人を傷付ける方向に使われたこと、さらには意図的に悪用する者が現れたことである。「親の因果が子に報い…」などといって子供の病気や先天的な奇形、死産などを、親が過去にした悪事のせいであるとして差別を助長するような考え方は長くされ続けてきた。
「何の因果か知らないが…」という言葉が正しく使われているのを私は一度も見たことがない。

さらにはそこに付け込んで、「風邪をこじらせた」原因は「先祖の霊が祟っているから」などという歪めた因果律を売り物にして詐欺を働く者もいる。仏教のぶの字も知らない詐欺師と仏教のぶの字も知らない信者がコップの中だけで騙し騙されしているなら御自由だが、迷惑なのは得てしてまともな仏教者よりも詐欺師の方が声が大きいので、傍から見ると仏教というのはああいう胡散臭いインチキ宗教なんだと思われてしまうことである。

現代では宗教というものは非常にイメージが悪い。当たり前だ。詐欺師とそれに騙される信者とのやり取りばかりが目につけば、まともな人間なら避けて通ろうと思うに決まっている。しかし中には巧妙にテレビに進出して宗教とも思わせないまま信者を獲得する者まで出てきた。正しい仏教理解が広まればこんな奴らの好きにはさせないのに…と残念でならない。
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