2011/9/27 | 投稿者: 鹿苑院

前項の続き。漫画に続いて次はアイドルを擁護したい。

世の「オトナ」は能を芸術と呼ぶだろう。歌舞伎、茶道をもそう呼ぶに違いない。先代の鹿苑院・足利義満が能を保護したことを、芸術を理解する床しい精神と捉えているであろう。

しかし、当たり前だがどんな伝統芸能も生まれた当初は前衛であり、頭の固い人々の眉を顰めさせるものであったことを忘れてはならない。観阿弥・世阿弥の能は義満の没後にその子の四代将軍足利義持に嫌われて迫害を受けたし、出雲の阿国の歌舞伎踊りもいかがわしいものとして捉える人も少なくなかった。それが今では、能や歌舞伎を芸術と言ったとしても笑われることは皆無である。

だとしたら、例えば世の「オトナ」が蔑み軽んじる(とまで言ったら言い過ぎだろうが、大意を理解されたい)AKB48を芸術と呼んで何がおかしいのだろう。観阿弥・世阿弥に莫大な援助を寄せた足利義満とAKB劇場に通うアイドルファンとの間にどんな差異があるのか。
そう考えると、芸能人・アイドルのファンを「ミーハー」と切り捨てる人も歴史主義者の私から見れば「歴史をわきまえない者」と呼べる。繰り返し言おう。──「文化に尊卑なし」。
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2011/9/27 | 投稿者: 鹿苑院

昔の中国では小説というものは子供の読む物とされており、あまり程度の高い物とはされていなかった。だから「小」という文字が付けられて貶められているのである。いい大人は詩を読むものだった。つまりその当時の小説は今でいう漫画のような扱いを受けていたわけだ。

今や小説は高尚な物になり、小説家は文化人の代表とも言える。このことから考えれば、数十年、数百年後には間違いなく漫画は高尚な物になり、漫画家は文化人の代表になるだろう。その時には他の何かがもっと低い物とされて迫害を受けているだろうが。

そういう理由から、歴史主義者の視点から見ると漫画を程度の低い物として貶めるのは「歴史をわきまえない者」のすることに他ならない。断言しよう。──「文化に尊卑なし」。
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