2011/9/25 | 投稿者: 鹿苑院

19世紀後半から20世紀にかけて、西洋の学者が本格的に仏教の研究を始めた。経典を研究した研究家、学者達が揃って云った言葉がこれだ。
「仏教は宗教ではない、哲学だ…」
自然科学の分野に入る人間学だと云う結論。

私もこのスタンスをとる。だから私は仏教に帰依しているが自分が宗教的だとは思っていないし、世の中に氾濫する迷信の類いには人よりも強く眉をひそめる方である。「宗教」という言葉を世間のイメージ通りに意味づけするのなら、それをオレほど嫌っている人間も珍しいと思う。

ただ、世の「オレは無宗教」と称している人々とは一線を引く。まず十中八九こういう人は「宗教でなく哲学としての仏教を信奉している」という意味ではなく、本当になにも信奉していないという意味で無宗教を称しているだろう。これが私には不思議なのだ。どうしてそういう恥ずかしいことを平気で公言できるのかが不思議で仕方がない。だって自分の生き方の背骨の部分、ポリシーがないと言っているのと同じじゃないか。
無論、生き方の背骨・ポリシーになりうるのなら、宗教とか高度な哲学でなくても良いと思う。猪木イズムでも良いし、マオイズムでも良い(個人的には後者とは友達になりたくないが)。

何も信奉していないという奴、自分の目で見たものしか信じないという奴(たかが100年の人生で世界の全部が見れると思っているとしたらとんでもない思い上がりである)に限って、平素は傲慢になる。そして病気などで苦しむとコロリと変なカルト宗教に入信してしまう。あらかじめ「生き方の背骨」を持っていたらこういうことにはなり得ない。
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