2011/7/26 | 投稿者: 鹿苑院

クリックすると元のサイズで表示します


一ノ谷の戦で平敦盛を討ち取った熊谷直実は、自分の息子と同じくらいの若武者を討たねばならなかった武士稼業に無常を感じ、法然上人の下で出家して「蓮生」という法名を授かっている。法然門下での彼は、信行両座論争の時に圧倒的少数派だった信不退の側に立ち、論争に勝利するなどかなり優秀な仏弟子だったようだ。

その熊谷蓮生入道が京都から関東に帰る路では、馬に後ろ向きに乗っていたという。もし前を向いて馬に乗ってしまうと、京都にいる法然上人及び西方極楽浄土にいる阿弥陀如来に尻を向けてしまうからというのがその理由である。その自分の姿を彼自身が詠んだ歌がまたいい。

「浄土にも剛のものとや沙汰すらん、西にむかいてうしろみせねば」

武士だった頃も敵に背中を見せたことはなかったが、僧になっても阿弥陀如来に背中を見せないので、今頃浄土でも熊谷蓮生は剛の者よと噂しているだろうという、いかにも武家出身らしい豪放磊落な信仰である。こういう人にはどうしても好意を持たずにいられない。
0




AutoPage最新お知らせ