2011/7/10 | 投稿者: 鹿苑院

織田信長の三大居城(清洲・岐阜・安土)のうち、清洲城と岐阜城は徳川家康の手によって廃城とされ、それぞれ名古屋城、加納城に首府が移されている。
清洲城は水害に弱い上に手狭で大軍の収容に向かないということ、岐阜城は山城で不便な上に歴代城主が非業の死を遂げている呪われた城であるということが理由だが、本当にそればかりが理由だろうか。

晩年の家康は、宿敵でありおそらく面識もないであろう武田信玄を懐かしむ話ばかりしていたという。対照的に、長年の同盟者である織田信長の話はほとんどしなかったようだ。このことから考えると、家康は本当は信長を嫌っていたのではないか? 信長の痕跡を消したいが為に清洲、岐阜の2城を廃城としたのではないかという邪推が浮かんでくる。
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