2011/5/3 | 投稿者: 鹿苑院

我々文人趣味の徒にとって、中国・宋の時代といえばそれだけで萌えな存在である。極端なほどの文治主義を採ったこの帝國は、そのために遼・金・モンゴルという外敵に絶えず脅かされ続けたが、特に金によって都・開封を含む中国の北半分を奪われ、南遷してからの文化水準は群を抜いている。書画、陶磁器などの芸術は中国の長い歴史を通じて南宋に優るものはない。

鹿苑院の心を最も揺さぶる芸術品は仏像だが、東アジアにおける仏像の2大ジャンルは北魏式と南宋式である。北魏式は日本で言えば法隆寺の釈迦三尊像をイメージしてもらえばいい。細長い顔にギョロッとした目の仏である。これはあまり日本人の好みには合わなかったとみえて、時代が下るにつれて作例が見られなくなる。代わって、ふくよかな丸顔に切れ長の細い目をした仏が主流になるが、これはまさに南宋式の特徴である。現在、仏像と言われて我々が思い浮かべる姿の標準は南宋において生まれたと言っていい(もちろん、定朝や運慶、快慶によって日本独自の発展を遂げてきたので南宋式の模倣そのものではないが)。

東洋の歴史上、類い稀な文化の花を咲かせた宋帝國は、どんなに外敵からの圧迫を受けても基本的には武断主義に転換することはなく、文化と芸術の国であり続けたまま、モンゴルの進攻により滅亡を迎えた。滅亡は宋帝國にとって不幸に違いないが、宋が最後まで文治路線を棄てずにいたことはアジアの歴史にとって偉大な遺産になった。
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