2010/2/16 | 投稿者: 鹿苑院

家に帰ってから、一息つこうとPCの電源入れて、あれこれ遊んで満足してから風呂に入ると寝る時刻が1時くらいになるが、家に帰って即風呂に入ればその後から遊んでも12時前に余裕で寝れることに気付いた。やっぱり楽しいことは後回しにして先に面倒なことを片付けるに限るね。
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2010/2/15 | 投稿者: 鹿苑院

今チェックしている漫画の一覧。☆を付けたのはそれぞれ一番好きな作品。

週刊少年ジャンプ
「めだかボックス」☆
「SKET DANCE」
「こち亀」
「銀魂」

週刊少年マガジン
「さよなら絶望先生」
「ダイヤのA」
「生徒会役員共」
「波打際のむろみさん」☆
「だぶるじぇい」
「課長令嬢」
「GE〜グッドエンディング〜」


ジャンプ4作品。マガジン7作品。
マガジン、ジャンプを抜いて第一党に(オレの中で)。
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2010/2/14 | 投稿者: 鹿苑院



我が主君にも歌って頂きたいものである(笑)。
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2010/2/13 | 投稿者: 鹿苑院

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2010/2/12 | 投稿者: 鹿苑院

ひさしぶりにココイチのフィッシュカレーを食べた。味の特徴からいってあれはカワハギだと思うが確証はない。

高2の夏だったと思うが、オレは某大手予備校の夏期講習に参加していて、当時は昼飯に500円以上出せないチキンだったので(だったじゃなくて今もチキンなんですけど)、毎日吉野家の牛丼か今はない名岐亭の串カツかココイチのポークカレーばかり食っており、講習最後の日だけには自分への褒美にココイチで高いものを食ってやろうと思っていたが、いざその時になるとどうしても勇気が出ずに550円のフィッシュカレーを注文するのがやっとだった思い出がある。そんな青かった頃の思い出のメニューである。
ちなみに、その時近くの席を見ると、スポーツ少年団でサッカーやってそうなガキお子様2人が800円のエビフライカレーを平然とした顔で食っていた。不思議なんだがサッカーやってそうだと思うと生意気度が1.8倍増しに感じるのは何故なんだろう? そんなこと感じるのはオレだけ?
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2010/2/11 | 投稿者: 鹿苑院

こんな時だから敢えて載せる。


親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと云々。
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2010/2/8 | 投稿者: 鹿苑院

祖父の戒名はそういう名前になった。不謹慎を承知で言えば、富山米コシヒカリみたいで、どうもセンスのない戒名をつける坊さんがいるなあと思ったが、生前に自分で付けていたらしい。ちなみに「富山(ふざん)」だの「居士」だのは飾りに過ぎず、本当の戒名は「米照(べいしょう)」だけである。俗名が米吉(よねきち)で、稲作が生涯の仕事だったから「米」という字に愛着があったのだろう。奇しくも私の「慈照」という法名と一字違いになった。
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2010/2/7 | 投稿者: 鹿苑院

母方の祖父が浄土に往ってしまった。これで私にはお祖父ちゃんがいなくなった。
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2010/2/7 | 投稿者: 鹿苑院

JRで岐阜−京都間は1890円。岐阜−大阪間は2940円。京都−大阪間は540円。つまり岐阜から大阪に行く時は電車に乗り続けるよりも、一度京都で降りて大阪まで切符を買い直す方が510円安くつくわけだ。普通は乗り続ける方が安くつくのが当たり前じゃないかと思うのだが、なんでこういう料金体系にしたのか意味がわからない。京都駅で「ここで降りるから差額1050円返せ」と言ってみたが拒否されたので、やむなく510円ムダな料金体系を飲んで最初の予定通り大阪まで乗る羽目になった。くそ、JRめ。
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2010/2/4 | 投稿者: 鹿苑院

この条に表れている親鸞聖人の正直な言動も好きだ。


念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養の浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと云々。
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