2010/1/26 | 投稿者: 鹿苑院

最近、DVDでNHK大河ドラマの「風と雲と虹と」を観ている。主人公は私の大伯父・平将門公。

将門公は関東地方を独立国とし、その「新皇」を名乗った。これが京都朝廷への反逆とみなされ、長く朝敵とされていた。朝廷・天皇制を否定したという見方をされることもある。でも本当にそうなのか?というのがこの記事の主題である。

将門公は東国の独立・新皇即位を宣言した後も京都朝廷の朱雀天皇のことを「本帝」と呼んでいたし、自身が東国を支配する法的根拠として、「将門はすでに 柏原帝王の五代の孫なり。たとひ長く半国を領せるも、豈非運と言わんや(この将門は桓武天皇の五代目の孫なんだから、日本の半分を支配してもおかしくないだろう)」と書いている。天皇の権威を完全否定するつもりならこういう言葉は出てこないはず。また、将門公がその臣下を諸国の国司に任命した際も、京都朝廷の方式に従って常陸守、上総守は空席にしている。
これらのことから考えると、京都朝廷を打倒するだの天皇制を否定するだのいう意図はなく、京都朝廷と並び立つ政権を関東に造りたかっただけなのではないかと考えられる。ちょうど後の幕府のようなものを構想していたのではないだろうか。
将門公と同時期に瀬戸内海で藤原純友公が兵を挙げたため、この二人が比叡山で共謀し、京都朝廷を転覆して将門公が天皇、純友公が関白になる計画を立てたという噂もあるが、これは俗説の域を出ない。百歩譲ってこれが本当だったとしても、それが成功したら自分が天皇に即位するつもりだったということは、すなわち天皇制を存続させる意思があったことになる。

幕府といえば、将門公の夢を最も高い完成度で実現したであろう江戸幕府は、将門公を神として祀る神田明神を江戸総鎮守として江戸城の鬼門の守備位置に置き、家光時代には朝廷に要請して将門公を朝敵リストから外させている(だから俺は江戸幕府が大好きだ)。この記事の最初の方に「朝敵とされていた」と過去形で書いたのはそういう事情による。


このOPの躍動感は素晴らしい。
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