2009/3/20 | 投稿者: 鹿野苑

フォークソング嫌いを公言してきた。どんなに良いものでも押し付けられてそれ以外は禁止同然の状態にされたら嫌いになるのは当たり前なんだけど、私怨を取り去って冷静に聞いたらフォークは別に悪い音楽じゃない。じゃあ私は何が嫌いなのかというと、「フォーク以外は音楽じゃない」という言葉が嫌いなのだと思う。何も私の父に限ったことではなくフォークのファンにはそういうことを言う人が多いらしい。ロックのファンにも多いけど、ロックはそもそもが音楽界の「ジャンルの鬼っ子」なので(つまり与党になり得ないので)、他を見下すまでいかない。
フォーク自体は悪いものじゃないのに、フォーク信者とは仲良くできそうにない。この構造が何かに似てるという気がした。そう、フォークは法華経でフォーク信者は日蓮宗徒だ。法華経自体は穏やかなお経なのにそこから生まれた日蓮宗になると他宗を徹底的に邪教呼ばわりして悪魔だ国賊だ地獄に落ちるぞと攻撃する。その排他的で独善的な選民思想が私の肌に合わないみたいだ。

「今の歌はメッセージ性が無いがフォークはプロテストソングだ」とフォーク信者は言う。今の歌にメッセージ性が無いとは私は全然思わないけどその議論はさておいて、プロテストソング(社会への抗議を込めた歌)というのは劇薬だと思う。劇薬は上手く使えば素晴らしいものになるが、一歩間違えると悪い副作用が出る。世界の歴史を見ればわかるだろう。社会に抗議する心を持ち、革命の志に燃える青年たちがいざ革命を成功させて地位を手に入れると最もタチの悪い政権を作る──ソビエトしかり、中国共産党しかり。ひとつの理念に燃えて突っ走ってきたから今更他の意見を聞くことができない。少しでも自分たちの考えとずれると「反革命的」というわけのわからない烙印を捺して粛清する。そしてその行為が正義だと信じて疑わない。かつてフォークというプロテストソングに心を燃やして、今は中年になってそこそこの地位を得て偉くなった人たちを見ていると、どうもそれに近いものを感じてしまう。

むろん劇薬も薬なんだから、上手く使ってそういうふうにならずにフォークの良い効果だけを受けてきた人もきっといると思うけど。
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