2009/3/1 | 投稿者: 釈鹿苑

浄土宗の開祖は法然上人で、浄土真宗の開祖は親鸞聖人。親鸞聖人は法然上人の弟子だから、浄土宗は浄土真宗より偉いのか、という人がたまにいるらしい。むろん浄土宗の僧侶や信徒が意図を持って言うのではなく、あまり仏教や歴史に関心や知識のない人が悪気無く言うだけのことである。

浄土宗というと普通は知恩院を本山とする鎮西派を指すが、光明寺を本山とする西山派もある。当たり前だが共に開祖と仰ぐのは法然上人。鎮西派を始めたのは法然上人の弟子の中の弁長上人で、西山派を始めたのは証空上人だ。浄土真宗を始めた親鸞聖人も法然門下で、弁長・証空の両上人とは兄弟弟子のため、位置付けとしては浄土真宗と浄土宗鎮西派・西山派は同等であり上下関係はない。だったら浄土真宗も鎮西・西山両派と同じように開祖を法然上人・親鸞聖人は二祖として、浄土宗常陸派とでも名乗ってもよさそうなものだ(浄土宗の場合○○派というのは二祖の活動拠点の地名が付いている。鎮西とは九州のことで、西山は京都の地名。常陸は茨城県)。現に親鸞聖人には浄土宗に変わる新宗派を立てようという気持ちはなかったらしい。ただ、師亡き後いくつかの解釈に分かれた浄土宗の中での真なるものという意味で浄土真宗といったにすぎない。それがあたかも独立した宗派のようになるのは親鸞聖人の曾孫・覚如上人の頃からである(その意味で親鸞聖人の意図と違うといって覚如上人を批判する声も根強くある)。

師・法然上人の葬儀において親鸞聖人をがっかりさせたことは、名だたる法然門下の弟子たちが十三仏法要を行ったことだった。明らかに法然上人の教えと異なるが、比叡山その他旧仏教勢力からの圧迫を避けるには、妥協して旧仏教の作法を取り入れざるを得なかったわけだ。その名残りで今でも浄土宗では十三仏法要をやっているらしく、実は浄土宗西山派への改宗を企てたこともある私の、これが浄土真宗に留まる決定的な理由になった。浄土真宗本願寺八代目の蓮如上人は「鎮西派や西山派は法然上人の教えが完全には徹底しておらず、自力の心が少し残っている人が始めた宗派だけど、浄土真宗とは兄弟みたいなもんだから仲良くやらなきゃいけないよ」と言っている。しかし現実には、浄土真宗という名称を巡って江戸時代にはかなりの対立があったようだ。浄土宗にしてみれば、「親鸞聖人の宗派に浄土の真の宗を名乗られたら、じゃあうちは浄土偽宗なのか」という言い分であり、なるほどもっともな言い分だと思わないでもない。このため明治までは浄土真宗はその名を許されず、一向宗という名を強制されていた。これは元々は浄土真宗とは違う宗派の名前が混同されたもので、
宗門としては早く返上したい名前だったのだが……この話は個人的に興味深いのでまた稿を改めて詳しく書くことにする。
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