2009/1/9 | 投稿者: 釈鹿苑

山崎祥琳先生の掲示板に私と同じ疑問を抱えた人がいたので、私も改めていろいろ考えた。浄土真宗門徒の永遠の課題かもしれない。なぜ法華経をほとんど無視しているのかということは。

お経の王様、経王とも呼ばれるのが法華経である。以前nicojuさんにおすすめ頂いて読んだ「親鸞の仏教と宗教弾圧」という本には浄土真宗の根本経典である無量寿経が法華経に比べて優れている点が論じられており、そこは納得したが、今回の問題は聖徳太子があまり無量寿経を尊んだ形跡がないこと。そして太子は三経義疏という著作で「法華経サイコー」と主張していること。さらに、法華経をあまり重視せずに無量寿経サイコーを叫んだ親鸞聖人が聖徳太子を「父のごとく」と呼んで熱烈に尊敬していたという事実。つまり、親鸞聖人は聖徳太子を尊敬していながらも太子の主張とは違った論を展開しているというのが謎になるわけだ。親鸞聖人は若い頃、真の仏教とはなにかということについて悩んでいたところ、聖徳太子が夢に現れて残してくれたお告げに従って法然上人に弟子入りしたら最高に素晴らしい無量寿経の教えに出会えたというので太子を尊敬しているのだが、これだけではちょっと根拠として弱い気がする。

浄土真宗が正統な仏教であると証明するには、釈迦→龍樹→善導→法然→親鸞のリレーが正しく行われたものであることがわかればいい。ここでの詳説は省くが、このリレーに問題はなさそうである。寂しいのはこの系譜に聖徳太子が登場しないこと。太子が熱心な阿弥陀信者であった証拠があればいいのだが…。ただし、法華経にも阿弥陀如来の念仏の教えは載っていて、そこが救いといえば救いではある。

法華経は天台宗や日蓮宗の根本経典だが、禅宗でも読む。禅宗というのは釈迦以来の元祖仏教の形に近い、もっとも正統な宗派のひとつだと思うが(何十年も寺で厳しい修行をしないと禅の悟りは開けないので、経済的・時間的余裕と宗教的才能が必要になるのが弱点)、その禅宗サイドからは浄土教に頼もしい援護射撃が寄せられている。一休さんと良寛さんが悟りを開いた後になって阿弥陀如来と念仏に非常に好意的な発言を繰り返しており、特に一休さんなどは本気で浄土真宗に改宗しようとしたほど。おそらくは太子も異義が無いであろう禅宗で、法華経を読んだり座禅をしたりして悟りに達した者が、浄土の教えを聞いたらまったく自分の悟りと同じであったという事実。これは非常に心強い事実である。しかも、昨日祥琳先生から教わったのだが天台宗の開祖・智ギ(ギの漢字が出ない…)も晩年は阿弥陀如来に帰依して念仏していたのだとか。もしかしたら経王・法華経さえも超越した経帝ともいうべきものが無量寿経なのかもしれない(法華経がウルトラの父で無量寿経がウルトラマンキングのようなものか?)。
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