2008/8/30 | 投稿者: 鹿野苑

江戸期において尊王思想の原型は徳川光圀(通称・水戸黄門)に始まる水戸学派であり、だから尊王の元祖は水戸藩であるという認識が一般的だが、厳密には違う。光圀以前に徳川一門で尊王思想を抱いていた人がいた。誰あろう、御三家筆頭尾張藩初代藩主・徳川義直その人である。光圀の尊王思想も元をただせば義直の影響を受けたものである。義直は「王命によって催さるる事」という恐るべき一文を残している。つまり「(将軍でなく)天皇の命令によって動け」という意味であり、一歩間違えば幕府否定にもなりかねない。何故御三家筆頭でありながら、徳川家康の実の子でありながらこのような思想を持ったか? 単に甥に当たる三代将軍・家光と仲が悪かったからという見方もあるが、どうも説得力に欠ける気がする。いくら家光が嫌いでもこれはやりすぎであり、幕府がなければ尾張藩もないことは明白である。

実はもっと面白い説があって、私などはこれを信じている。つまり、義直に尊王思想を吹き込んだのはなんと父・徳川家康だというのだ。将来誰かが朝廷を奉じて倒幕に立ち上がったとしても、徳川家No2ともいうべき尾張家がそちらに付いていれば、万一幕府が倒れても尾張家は残る。つまり徳川の血は残せるという策略らしい。現に尾張から尊王思想を受け継いだ水戸藩出身の徳川慶喜はその尊王思想に従って官軍に恭順し、徳川の血を残している。東照大権現の狙いは見事に今日まで成果を挙げているのだ。
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