2008/7/17 | 投稿者: 釈鹿苑

私は真宗門徒だが日本神道も好きである(戦前戦中に盛んだった天皇崇拝の国家神道とは別物)。古事記なんてたまらなく好きだ。神話の話をしても良いのなら、私は木花咲耶姫(浅間神社の祭神。かぐや姫は実はこの女神のことという説もある)の子孫ということにもなっている。

だがしかし、けれどもしかし、とはいえそのくせ、神道好きの私が浄土真宗の門徒なのだ。浄土真宗は「弥陀一仏」が鉄則。阿弥陀如来以外のいかなる仏菩薩・神々をも礼拝しないのである。もっとも、このことは矛盾はしない。仏教は神道をも包括するものだからだ。蓮如上人も御文でそれを述べている。

真宗の解釈からいうと、神々は阿弥陀如来の家来、もしくは分身である。だから阿弥陀如来を礼拝すればそれはすなわち全ての神々を拝んだことになる。もっと私らしく哲学仏教的にいうと、仏とは宇宙の全てを擬人化したものであり、山も川も火も水も宇宙の一部だから、当然山の神も川の神も火の神も水の神も…その他もろもろ全ての神が阿弥陀如来の一部であり分身であるということは明白だと思う。

「阿弥陀如来を信仰する念仏者が神社へお参りしても良いでしょうか」という質問に法然上人は「さしつかえありません」と答えた。それは上のような理論によるものだと思う。だから私は神社に平気で行くが、拍手は打たず(それは親鸞聖人が戒めている)、合掌したまま心中で「南無阿弥陀仏」とだけ言っている。神社の神を拝んでいるのではなく、その神の向こうにいる阿弥陀如来を拝んでいる。
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