2008/3/9 | 投稿者: 鹿野苑

例によっていつものように「空気読め」という風潮への批判をしたところ、ある人から「あなた空気読めの意味を取り違えてますよ」と批判を頂いた。きっとその人の言う正しい意味での「空気を読むこと」とはその場、その相手に応じた適切な言動をすることなのだろう。それなら社会にとって有益なものと言える。

しかし、現実にはどうだろう。そういう「正しい意味」で使われていることなど全体の1%もあるまい。99%以上は自分にとって都合の悪い言論を封殺するための凶器として悪用されている(ちなみに「凶器」という言葉が「武器」とどう違うかにはちゃんと定義がある。敵を攻撃する目的で製造されてその通りに使われるのが武器。別の目的で製造されたのに他者への攻撃のために使われたものを凶器という)。
どんなものにもメリット・デメリットはある。ただ、悪用されやすいものとかデメリットの方がはるかに大きいものはそれを廃絶する努力がなされていい。「空気読め」という言葉もそうだし、核兵器もそうだ。

「空気」という(本来なら)誰の所有でもない公共(のはず)のものを水戸黄門の印籠にするから悪用しやすくなる。「こんな言葉は死語にしちまえ!」というのが私の本音だが、もし敢えて残そうというのなら「人の気持ちを読め」に代えるべきだ。これはどう考えても個人の所有物だから、おかしいな?と感じたら「なんでお前の勝手な気持ちなんかに気をつかわなきゃならねえ?」と返せる。この民主主義の時代に一方から押し付けるだけのシステムなんておかしい。誰にでも反対を言う権利あってこそ近代社会。例えば国会にも内閣不信任案があるように。

「空気読め」が悪用されると手に負えない。60年ほど前、ヒトラーや日本軍部が台頭して来た頃に国民誰もが空気を読んだからこそ世界は戦争に突き進んだ。あの頃日本には「治安維持法」という法律があり、言論・思想の自由が厳しく制限された。終戦を迎えせっかくその悪法が消えたというのに日本国民は愚かにも国民自らの手で「治安維持法」を復活させようとしている。歴史は繰り返すというが、このままだとまた日本は間違った方向へ向かうのではないか。だから(間違った意味で)「空気を読む」ことは犯罪なのだ。
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