2008/2/21 | 投稿者: 鹿野苑

中国史を知っている人を集めて「最高の皇帝は誰か」という人気投票をやったら1位はおそらく李世民(唐の太宗)だろう。2位は三国志人気で蜀の劉備かもしれない。3位は劉邦だろうか。

劉邦には「史記」、劉備には「三国志」があって日本人にも親しまれているから人気が高いが、その両者の中間の時代の劉一族に私は一票入れたい。名を劉秀という。後漢の初代皇帝・光武帝である。彼については「後漢書」があるが、あまり日本では馴染みがない。
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当時は漢は一度滅んでおり、新という王朝の時代だった。漢を懐かしむ人々の反乱が起き、新はわずか15年で滅ぶ。劉秀もその反乱軍の一人だった。挙兵の時は金がなくて馬が買えず、牛に乗って出陣したという(ちなみに劉備も初期はムシロを売って生活していた。どうして漢王室の一族は末端になるとこんなに貧乏なんだろう?)。

天下を獲って皇帝になった時、故郷を巡幸すると少年時代を知る親戚のオバちゃんが皇帝劉秀をからかって(肝が太い…)、「あんたは子供の頃は優しいだけが取柄の内気な子で、誰とも仲良くなれずにいつも独りで遊んでるような子だったのに皇帝になるなんて信じられへんわ」と言った時、彼は笑って「俺は皇帝になってもその優しさで政治をしようと思うよ」と言い返したらしい。その言葉通り、彼の政治は庶民第一。役人は地方の県令さえも一人一人面接して任命し、不正のあった役人はみずから杖で打つという罰を下した。奴隷解放令は何度も出したし、人身売買も厳しく制限した。奴隷と一般市民の人権の平等を宣言した言葉としては「天地之性人為貴(この世界においては、人であることが尊い)」がある。
その上面白い皇帝だった。皇帝のくせに人の上に立つのが大嫌い。家来と話す時も玉座を降りて同じ所に立って話すし、家来も家来で夜遊びして遅くに帰ってきた劉秀が「おい、俺だ。開けてくれ」と言っても門限違反を理由に閉め出し。しかも少なくとも2度もそんなことをやっている。無論劉秀はそれを恨んでその門番を左遷したり罰したりはしてない。

かの諸葛孔明も光武帝を理想の皇帝像としていたらしい。ああ、こんな素晴らしい人がどうして知名度が低いんだろう?光武帝劉秀…もっともっと評価されていい人物である。
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