2008/2/15 | 投稿者: 鹿野苑

東洋哲学のひとつで大乗仏教の根本にもなっている唯識論という思想が好きだ。弥勒菩薩の説いた教えだという。なに、そう難しい話じゃない。

私は以前、友人に大好きな女性が猫を抱いている写真を見せたことがある。彼は一目見て「可愛いな」と言った。「そうだろう、美人だろ」と言った私は次の彼の言葉に不快になった。彼はこう言ったのだ。「いや、猫が。」
彼は昔からまったく女性に興味を示さぬ淡泊な奴(といってホモでもない。つまりはバスケのことで頭がいっぱいというタイプ)で、しかも無類の猫好きだということを私は忘れていた。

このケースは唯識論の説明としては格好の教材になる。つまり、私にとってはその女性が写真の中心で猫などは背景に過ぎないが、彼にとっては逆なのだ。背景に過ぎぬということは無いに等しいということである。意識しなければそれは無いと同じ。逆に意識していればどんなにちっぽけでも、仮に実在しなくてもそれは存在しているのと同じ。

唯識論を突き詰めて言うと、
『物事はそれが存在すると思う人の意識があってはじめて存在する。』
ということだ。ただしそれだけでは西洋哲学の唯心論と変わらない。唯識論はもう一歩突っ込む。すなわち、
『万物を存在せしめている人の意識というものもまた人の意識によってかろうじて存在しているものであるから、結局はそれに支えられた万物も全ては空である。』
という重要な結論が付く。般若心経(我が浄土真宗では読まないが)ではこれを「是諸法空相」という言葉で簡潔に表している。

やっぱりちょっと難しい?
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