大仏殿焼亡の真犯人

2011/11/9 | 投稿者: 鹿苑院

織田信長は臣従した松永久秀を徳川家康に紹介する時、こう紹介したらしい。
「この老人は普通の者にはできぬことを3つもしている。主君を殺し、将軍を殺し、大仏を焼いている。」
あんまりな紹介の仕方だが、信長が言う資格もないだろう。自分だって主筋に当たる織田信友を殺し、将軍足利義昭を都から追放し、比叡山を焼いているではないか。

さて、松永久秀が将軍足利義輝を殺したのは間違い無いにしても、あとの2つは実は疑わしい。主君とは三好義興のことだが死因は病死であって久秀が暗殺したという証拠はなく、噂に過ぎないし、大仏を焼いたのももしかしたら久秀ではないかもしれない。

奈良の大仏殿が焼けたのは松永久秀と三好三人衆が東大寺を舞台に戦った時の事だが、「足利李世紀」という記録には三好方の陣小屋の失火が大仏殿に燃え移り、戦争中だったので消火する暇もないままに燃えてしまったと書いてある。「大和軍記」ではやはり三好方の鉄砲の火薬に点いた火からの失火であると伝えているし、ルイス・フロイスの「日本史」では三好軍にいたキリシタン兵が意図的に大仏殿に放火したと書いている(ちなみにフロイスはこの兵を「勇敢なる兵」と賞賛している)。
この3つの記録はいずれも大仏殿焼亡の原因を三好方に求めるものであり、これらを信じるなら久秀には原因は無いことになる。後に久秀は織田信長に反旗を翻し、鎮圧に来た織田軍のために大仏殿が焼亡したのと同じ10月10日に死んでいるので、これぞ仏罰と噂されたものだが…。
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