2種類の生まれ変わり

2011/1/16 | 投稿者: 鹿苑院

子供の頃、生まれ変わりが怖かった。自分ではない誰かに変わってしまうということは、この世からもあの世からも自分がいなくなるということで、幼い頃の私にはこれほど怖ろしいものはなかった。生まれ変わりをロマンチックに語る人の気が知れなかった。

仏教はこの問題にも答えてくれた。仏教においては生まれ変わりというのはあまり肯定的には捉えられない。永遠に生まれたり死んだりを繰り返して生まれ変わり続けることを輪廻といい、正しい仏教によってここから脱け出し、永遠の安住の境地に至ることを解脱という。生まれ変わるとは言ってみれば、生涯において仏教に出会えなかった人への追試験のような物。つまり、幼少時の私の生まれ変わりを怖れる気持ちは仏教的にはあながちおかしな感覚ではなかったわけだ。

ただ、仏教的に肯定されるパターンの生まれ変わりもある。例えば本地が救世観音菩薩である南岳慧思が聖徳太子に生まれ変わり、恵心尼公に生まれ変わり、かかずゆみさんに生まれ変わったと言われるのがその例だ(最後は個人的にくっつけた)。
すなわち、偉大な聖人は正体は仏や菩薩だが衆生済度のために何度も自由自在にこの世に現れるという。これを還相廻向という。浄土教においては極楽往生は最終ゴールではなく、凄腕講師である阿弥陀如来の指導によって悟りを開いて、還相廻向でバリバリ働くことを最終目的とする。なお、鎌倉時代の貴族の中には「極楽浄土に行ったらもうずっとそこにいたいんですけど、どうしても還相廻向しなきゃダメっすか? 正直勘弁して欲しいんすけど。」と法然上人に質問した人がいたらしい。上人がどう答えたかは忘れた。

では、輪廻に関して大勢至菩薩の歌声をどうぞ。
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