先日の豪雨では、岩手や秋田で大きな被害があったようです。
しかしながら今回の豪雨では、ダムのおかげで被害も少なくてすんだと発表されました。
それはどうだろうか?と私は考えますが、もちろんダムによる治水という考え方もひとつの方法です。
ただダムには寿命があるわけです。
今回の豪雨でダムの有効性が検証できたといわれる盛岡の四十四田ダムは、現在堆砂率が90%近いといわれ、完成から50年であと20年以内で寿命を迎えようとしているが、蓄積された土砂の中には松尾鉱山から流れ出ていた鉱毒の影響で、高濃度のヒ素が堆積されているため、どうすることもできない現実があります。
こういうダムは日本各地にあるでしょう。
造ったはいいが壊すこともできず、更に大きなダムを作り沈めていくしかないわけです。
先に「それはどうだろうか?」と思ったのは、ダムの有用性を訴えるかのような今回の発表に、別の意図的なことをどうしても感じます。
県内でもまだ何箇所かダムを作ろうとしていますが、建設費とその効果に疑問の声が多く上がっているため、やはりダムは必要であるという方向への布石。
あまのじゃくの私はそう思ってしまいます。
写真は盛岡の清流である中津川。
普段はダムでコントロールされている川なのですが、単なる作られた清流なだけで、本来ならば雨が降るたびにこのような色の川が正常なのです。
木々を伐採し、山を削り、コンクリート・アスファルトで覆いつくし、垂れ流された結果が河川の氾濫を生むわけです。
昔の人々は水を川幅を大きくとり、川の蛇行をさせる範囲で堤防でコントロールしてきましたが、川を生き物と考えるなら、流れを殺す(止める)のではなく、コントロールすることを考えなければ、後世に負担を押し付けていくようなものです。
ある新聞に、水田が水没してしまった方が、折角の収穫の時期に収穫は絶望的となったが、この水田のおかげで家や人が守られたとあきらめるしかないとコメントされていました。
水田も治水に昔から役立ってきたわけですが、こう考えれる方は何人もいないでしょう。
少々熱く書いてしまいましたが、治水=ダムというのはお金が掛かるだけではなく、間違った考えともいえると気づくべきと思います。
ダムを造るより堤防の強化のほうがお金が掛からない。
しかし、別の意味でダムを造りたい。
そんな気がします。
ん?
また、飲みすぎたようだ。。

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