2007/7/16

当たり前なほど難易度が高いという話。  蒼な精神論。


「継続は力なり」
初めて聞いたのは小学校2年の時でした。
担任の先生が話された話です。

継続は力なり、今20歳ですがこれを体現しようと思うとなかなか難しい。
勉強にせよバイトにせよ日常生活にせよ、体調不良やらその日の気分・・・考えれば考えるほどです。

なにかをするときに一発でうまくできる人なんていない、感がいいといえそれはその人の経験の集合から発生するもの。
人間において、0から100にいきなり到達できる「人」はかぎりなくいないはず。

なにかを成し遂げるには練習の積み重ねが必要不可欠。
練習には根気が必要。

「継続は力なり」
続けようとする根気と、続けた結果が力になるならば・・・まずは気持ちの改善から。
そして、しっかりと力をつければいい。
続けることに確かに意味がある。


要するに「小さな努力はステータスだ!」
と小学生のときから変わらない解釈の蒼鏡華です。

勉強してると思います、「すごい難しいって」。
そんなわけで今日の英語3時間!
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2007/7/7

わかりやすく簡潔に伝えなさい。  蒼な精神論。


メールにおける問題点。
それは、相手のテンションやそれをとりまく雰囲気が感じづらいこと。
文章における伝達によるならば、分かりやすいということが重要であると思う。

下手に含みを持たせたところで相手が意思や空気を読み取れなければ無意味この上ない。
本心の読めない話しあいなどは誤解しか生まない。

それに伴う経過報告は重要だ、しかしながら物事の結果をを伝えることはより重要なのだ。
だから最近、電話のほうが遥かに楽な通信技術だと思う。

最近、というか今日は特にそう思う。
次は気をつけなあかんわぁ。
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2007/7/7

ホンダのマグナ50ccとかね。  蒼な精神論。

あっついですね〜、なめんな異常気象ってね。
まだエアコンは買わないぜ!!

さてさて、大雨やら水不足やら地球環境ずれてるよと実感する今日この頃ですが。
原付を変えたい衝動にかられています。
理由、瀬莉華が中免をとるとかどうとかいっていたからです。
ふむ、うらやましい。

夕方でかければ、ちっこい虫を回避することができないバイクですが・・・速度のでるやつを買うなんてうらやましい。

だけど、そこで冷静に考えた。。。
たかだか50ccを乗り換えただけでは最高速はかわりません。
ですが、バイクのクラスが変われば法廷速度は変わるわけです。
そこで気がつく、車の免許とってから大型バイクの免許でもとりゃいいじゃんてね!

バイクは便利です、今のバイトはバイクなしでは成立しません。
今後、バイトをやめたと仮定したら僕はおそらく車に乗るでしょう。
ならば、今は冷静に見定める時期ではないかと思ったわけです。
趣味でバイクをするんなら、好条件をそろえたい。
というわけです。

そんなこんなの金曜日より。

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2007/6/6

俯瞰風景と螺旋階段。  蒼な精神論。

例えばであるが、日常とは日々普遍であり、それであるが故に日常であると思う。

考えればそれは終わりなき円環の中にあって、自分はそれの中のひとつである。

想像と現実、理解と世界・・・相対的に位置づけられたこれらを見るために自分がある。

そこにあるものに悩んだら負けであり、常に前を向かなくてはならない。



かと言ってがむしゃらに動いてもいい結果はでませんで、勉強は計画的になのですよ。
さて7月までになにを完成させておきましょうか?
もう20歳目前なんだしね、自分(笑)


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2007/5/4

求めるもの、求められるもの。  蒼な精神論。

現状、あの町は自分の好みではない。
秋葉原のことである、過去3回行ったことがあるが・・・行くたびにその存在定義を変える町は「混沌の中に生きている」と思う。

初めて出かけたのは高2の時(自分17歳、部長16歳)でおそらく2004年のであったかと思う。
そのときは、あの町は今のような世界ではなかったし「電気街」であったと思う。
自作パソコンの最盛期でもあったので「パーツショップ」がまだあの土地に根付いていた時期だった。
その当時は、部長に連れられて「東方」シリーズのアレンジサントラを捜し求めていたし「電気街」と「オタク」の世界はそんなに比率は違わなかった気がしてならない。
電気街(自作パソコン系)のショップはみていて飽きないものだったし、駅の近くにある配線系の店は興味をそそるものであった。

しかし、2回目に訪れたときはその比率は変わっていて・・・「メイド」やら「メイド喫茶」が点在し「正直歩きづらい」と思ってしまった。
別に否定をするつもりでもないし、ただ「秋葉原」に求めるものが違う、それだけなのだが。
コスプレイヤーなどがいたのは前と変わらないのだが、根本的ななにかが違う気がしてならない・・・社会のニーズであるなら、それは形なのだが。
あくまで「自己表現」の枠にとどめるものを「商業化」している、そう思ってしまう。
コミケ等で思うのは「枠内」であって、それはあの空間のみで許されるものであると思うし。
関連性のあるものは、秋葉原のショップの中だけであってほしい。

それが路上にあふれている様を見ると、正直幼稚に見えてしまうからだ。
たとえば広告という意味で外に露呈する分にはかまわないのだけども、大っぴら過ぎるのはどうなのだろう?
おかげで秋葉原は「電気街」ではなく「観光名所」の扱いになってしまった気がする。
それは、いろいろなものが「枠」からあふれ出した結果だと思う。

今の秋葉原は、殺伐としていてカオスなのは間違いではない。
ただ、個人的には電気街としての殺伐さカオスさが薄れているのは正直「つまらない」の一言に尽きる。

初めて行った時の「初心者お断りのジャンク屋」、「誰もが入れる電気店」、適度にあった「萌え文化」・・・これくらいのカオスの方が歩きやすいと感じてしまうのはなぜだろう?

この年になって、初めて「極端に変わる世界」を目撃したが。。。
乾いた笑いしか生まれない。

ただ、個人個人と集団の理論があそこまで合理的に「欲望らしい欲望」を描き出される町は「秋葉原」なのであって。
それは、ラジオやオーディオ・・・またはパソコンと大差ないのだと思う。

そう考えると、需要と供給なのだから「しばらく黙って見てるか」と思いつつ「今のあの町に敬意をしめさずにはいられない」。
どういう形であれ、あの町はは混沌の世界だから。

と、最近・・・ネットでパソコンパーツを吟味をしながら思ったことより。
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タグ: 秋葉原 萌え 自作



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