視線の先には幾つもの水溜まり。
雨、雨、雨。
粒が落ちるたびに弾ける飛沫、広がる波紋。
足元に留まる水溜まりは、小さく、少し澱んで見える。
少し離れた場所にある大きな水溜まりも不鮮明で、粒が落ちるたびに溢れて、何かを削り取りながら何処かへと流されていくように見える。
澱み留まっては置き去りにされ、流されてはより低きに掃き捨てられる。
どちらかしか選択肢はなくて、どちらを選んでもあまり愉快なもんじゃないし、変わりはない。
留まることを、変わらないということを選択すると、否定されたり非難されたり置き去りにされたりして不安になる、居心地が悪くなる、孤独になる。
そんなふに感じる、じゃなくて、感じさせる風潮が、力がコノ世界にはある。
変わらなければならない。
変えていかねばならない。
より良く、より豊かに、より幸せに。
今も昔も変わらない、それだけは。
でも、もうそろそろ変えていいんじゃないだろうか。
変えるべきはそこなんじゃないか。
もっともっとと願った先に、求め進んだ先に、今以上の何かがあるとは思えない。
より猥雑で、より差別的で、より不愉快な生活しか想像できない。
それは今を生きているから、未来を見てないからそう思うだけかもしれない。
でも、分かりゃしないし責任を取ることも出来ない未来のことなんか見て生きていたくないから、そうとしか考えられないし考えたくない。
今を生きること、今と向き合うことが何より大切で、一番重要なことだから。
必ずしも今日という1日の次に、明るい日が来るとは限らない。
新しいからといって何かが変わるわけじゃない。
そもそも明日はいつまで経っても明日だし、未来はどこまで追いかけても未来のまま。
やって来るのはいつも今日という1日だけ。
現在という一瞬だけ。
なぜなら、私たちは今を生きているから。
新しい今日という1日を繰り返しているから。
それはそんなに悪いもんじゃない。
だってそこには新しいいつもの始まり、新しい見慣れた景色がある、新しい日常がある。
いつも新しい何かがある。
それだけで十分幸せじゃないか、これ以上何を望めばいいんだろうと思う、新しい今日の終わり、新しい今日の始まり、その間に間に。

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