人が人を嫌う時、その対象が他人であれば誰も非難こそすれど否定はしない。
だが、その対象が家族となると話は変わってくる。
同じ血を分けたやら、誰よりもずっと一緒に時を過ごしてきたから、挙げ句の果てには家族なんだからという何ら理論や裏付けもない、やのに皆が暗黙の了解かのように納得する理由をもちだしてきてその行為、思考を非難、否定する。
人は動物を殺してもよい。
なぜなら生きなければならないから、そのために食べなければならないから。
でも人が人を殺してはいけない、食べてはいけない。
その理由を同じ人間だから、愛やモラルだ常識だと人は答える。
ならば生きるためならばいいのだろうか。
確かに、人が人を殺しても許される(正確には刑罰に処されない)ものに戦争や正当防衛などがある。
特殊な状況下において飢餓に見舞われた際の人食も、語られはしないものの暗黙の内に了解されている。
そう、特別ならば許される。
しかし、許した時点でそれを否定する理由や根拠は脆弱、かつ欠落してしまうことになる。
説得力を失う。
当たり前、常識、普通、同じだからということは理由にはならない。
表紙とタイトルから中身はまま想像出来ますし、実際にまぁその通りの内容でもありまして、ミステリー、ヒューマンホラーとしては物足りない部分もありますが、料理描写はヨダレもの。
そのせいで、最後のほに出てくるあまり想像したくない料理も想像出来てしまうのが困ったところですが、それくらい料理描写は素晴らしいです。
料理も好きでミステリーも好きな方は、きっと楽しく、最後らへんは少し気持ち悪く読むことが出来ると思います、はい。

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