『フィッシュストーリー』
伊坂幸太郎
釣り人が自分の釣果を語る時、実際よりも大きく、数も多く脚色して語る様から転じて、ホラ話や大袈裟な話、作り話という意味をもつ。
それがフィッシュストーリーという言葉の意味。
そんなホラ話も話しているその瞬間、バレるまでは真実の話。
話す当人にとっても、相手にとっても。
それは積み重なれば、崩れ落ちなければ現実にもなる。
何が本当か、何が嘘かなんてあまり意味はない。
それらが混ざり合って出来るものだから、真実なんてもんは。
現実ってもんは。
だからコノ世界はどうしようもなくて、辛くて、楽しくて、薄汚れてて、美しい。
夜の動物園と、そこからいなくなったオオカミを巡る推理話。
人捜しと閉じられた山村に残るある風習のお話。
「僕の孤独が魚だとしたら」で始まる世界の交錯、連鎖の物語。
同じ日に同じ場所で産まれたプロ野球選手と泥棒の真実と現実のお話。
4つの作り話が楽しめる作品。
伊坂さんといえば長編のイメージが強いかもしれませんが、短編もイイです。
長編まだ読んだことないけどイイです。
次は長編も読んでみようと思います。
『ランドマーク』
吉田修一
この世界は小さな世界の集合体である。
まず存在するのが自分がもつ独りだけの世界。
そして次にあるのは自分と周りの人が作る家族、家、友人、職場といった小さな世界。
その小さな世界が集って町を作り、地域を作り、国を作り、世界を作っている。
1人1人の人間がもつ世界が重なり合い、削り合い、捻り合い、繋ぎ合って、それが集まってコノ世界は出来ている。
人は1人じゃ生きていけない。
いや、1人で生きているわけではない。
そんなこと誰だって知っている。
だからどうした。
分かっていても、そんなこと考えても何も変わりはしない。
変わるのはいつも自分。
変えるんじゃない、変わるんだ。
それが無理なら、それが嫌なら自分だけの世界に籠ってりゃいい。
誰にも迷惑をかけないように、何にも影響を与えないように、大きな世界の片隅で突っ伏しながら。
無意識下に潜む人の本質。
それは目を背けたくなるくらい暴力的で、嫌悪してしまうほど猥雑で、心が抉られるほど鋭利で、恥ずかしいほど優しく温かいモノ。
そういうもの描いているのかな、と感じます、吉田修一さんの作品を読む度。

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