昨日はお休みでした。
「やっぱ家では本読む気にはならんな〜」
と、つくづく思いました。
そんだけです。
でした。
んなわけで今月は2冊。
『白ゆき姫殺人事件』
湊かなえ
自分とは何か。
それは考えてはならないこと。
いくら考えても無駄で、答えなんて出やしない。
何故なら、それは周りの人が作るモノだから。
語る人によって変容する存在。
自身の意思とは関係なくひとり歩きし、知らぬ間に変わり、変えられる。
それが自分というモノ。
実体のない虚像、得体のしれない自分という存在。
「自分のことは自分が一番よく知っている。」
なんて言える人は幸せ者だ。
バカ幸せな人だ。
そういう人はきっと全ての物事が他人事に見えるのだろう。
テレビやインターネットで目にする事件は、自分には起こらない、遭遇しないと信じ込んでいるのだろう。
それは別に悪いことじゃない。
ほとんどの人が本心ではそう思っているのだから。
それが普通なのだから。
とある地方都市で起きた殺人事件。
被害者は「これであなたも白ゆき肌」のCMでおなじみの化粧品会社の美人OL。
仕事は完璧で後輩思い。
優しく美しい白ゆき姫を殺したのは一体誰なのか?
過熱する報道、盛り上がるネット傍観者たち。
何が正しくて、どれが本当なのか。
自分は何者なのか、姫なのか、それとも王妃なのか。
ページ数も内容も話の裏も読みやすい1冊です。
『超芸術トマソン』
赤瀬川原平
芸術を超えた超芸術。
それは意図的に生まれるものではない。
それは発見するもの。
気づく人がいて初めて芸術的価値が認められるもの。
非効率的で、意味も存在意義もなく、いずれは消えゆくもの。
だからこそ儚く、美しく、芸術的。
それが超芸術トマソン。
見る人によっては「へ〜、で?」というモノ。
日常の残滓、あるいは社会の遺物。
そういったもの、といってもどういったモノかは分かりませんよね?
例をあげないと浮かびませんよね?
挙げないけどね。
普段の景色、いつもの街、繰り返しの日常。
そこに潜む芸術的風景、芸術物。
他に人から見たらゴミに見えるものも、見る人によっては美しい芸術品に見える。
好みの問題、視点、価値観の相違によって全く違うモノになる。
それが芸術。
それが美。
共感が多かろうが少なかろうが関係はない。
他人に押し付ける必要もない。
自分がキレイ、美しいと感じるモノがキレイで美しい。
そう思うのです、日々常々。

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