読書の秋。
今も昔も人はそう言うそうです。
事実、そう耳にします。
バレンタイン(とホワイトデー)やハロウィンやクリスマスなんかと同じく、これも出版業界や何かの策謀なんやと思います、きっと。
銭の臭いがするのです。
キナ臭い銭の臭いがイベントごとの端々からは。
まぁ、年中本読んでいるワタクシには関係のないお話ですが。
ということで、今月は6冊。
いつものごとく統一感のないチョイスです、はい。
『大人のための残酷童話』
倉橋由美子
童話や昔話というものは元来そういうものであり、決して愉快なものではない。
それは先人訓であり、残酷でどうしようもなく堕落した日常の話。
違う世界、幻想の物語ではなく同じ世界を生きた人間の物語。
だからこそ救いがある。
絶望がある。
夢や希望、世知辛さ、惨たらしさがある。
魅了、憧れ、嫉妬、羨望、懐古、、、
童話、神話、昔話といったモノには何かしら訴えるモノ、心動かすモノがあるからこそ語り継がれ、伝承されてきたのであろう。
清濁合わさってこそ、混じっていてこそ深み、奥行きがあるってもの。
勧善懲悪、正義は勝つ。
なんてもんに興味はなし。
かといって別に不幸話や他人の不幸が好きなわけではありません。
他人の視点を垣間見るのが好きなだけです、はい。
『この世は二人組ではできあがらない』
山崎ナオコーラ
世界にはキマリがある、常識というものもある。
それに従わなかったり、疑問を呈したりすれば非常識だ、反抗的だ、自分勝手だと非難され否定される。
でも、常識や決まりを守らなければいけない理由や、その意味を考えてみたことはあるのだろうか。
それ自体が理由になっているから、守ること自体が理由になってしまってやしないだろうか。
女は子供を産んで1人前。
男は家族を養って1人前。
幸せにならなければならない。
愛し愛されなければならない。
それは何故なのか。
それ以外は何故いけないのか。
違う生き方を選んじゃいけない理由は何なのか。
その問いに答えられたとしても、その答えは自己を正当化するものでしかない。
他人を否定するものでしかない。
そんな生き方するくらいなら自分で選んだ道を歩きたい。
フワフワとしていたい。
1人のためじゃなく、皆のために在りたい、何より自分のために生きたい。
欲張りでいること、自分勝手に生きることは本当に悪いことなのか。
支え合って人という字を作るくらいなら、2本ある足を開き、地面を踏みしめ、しっかりと立っていたい。
そういう強さを求め続けていきたいです。
誰に否定されようと、分かってもらえなくとも変わらず、ずっと。
『紅葉する夏の出来事』
拓未司
色づくことでその存在を認められるモミジのように、変わること、何かが起きることによって気づくこと、始まることがある。
いつもそこにあるもの。
それが必ずしも大事であるとは限らないし、それに気づけない、見て見ぬフリや逃げ続けることを否定はしない。
それが必要だと思ったから、キッカケとなるモノが必要だっただけ。
ただそれだけのこと。
自分探しだと散々知らない場所、遠い国に行った挙句に見つけたモノ。
それはずっと近くに、そう、自分の中にありました。
みたいに、同じようなものは遠くにも近くにもある、ということ。
自分なんてもんは他人が、自分の周囲にいる人たちが作るものなんです。
その人の数だけ自分はいるのです。
だから、何も探す必要はない。
変える必要もない。
そんなのどうでもいいし興味もない。
桜が春以外にもそこにあることを、モミジが秋以外にもそこにあることを私は知っているから。
その姿の美しさを知っているから。
『不連続な世界』
恩田陸
世界は1つに見えて1つじゃない。
人間、人間以外の動物、植物、山、川、海、この世界を形づくる全ての存在が世界を有し、幾つもの世界が存在している。
その1つ1つの小さな世界が連なって、重なり合って、触れ合って、閉じこもって1つの形を作ろうとしている。
全ての存在が当事者で傍観者。
立ち位置が違うだけで、そこに差異はない。
閉じこもったり、重なり合ったり、侵食したり。
誰もが自分の世界を守ることに必死だ。
不思議な出来事と不思議な人間が登場するお話。
どこか哀しく、内相的、ミステリアスな雰囲気が漂う会話回しと風景描写。
同じく恩田さんの著である『六番目の小夜子』と同じくらい好きかもしれません。
人が死んだだ、虚を突かれるだ何だというよりも、人間くさい、人間の矛盾が色濃く感じ取れるミステリーが好きなようです、はい。
『千年樹』
荻原浩
木、特に樹齢100年だ1000年だという巨木には魂、あるいは命が宿るという。
周りに住む人々の営みの記憶、歴史などを年輪に刻みながら見守り続ける。
人などとは比べようもない長い年月を過ごしながら。
だからこそそういった巨木はある種の畏怖や畏敬の念をもって、御神木や鎮守、天然記念物として崇められ保護されるのであろう。
しかし、そうでない木もある。
落ち葉が邪魔だ、枝が落ちてきて危ない、鳥の住処になっていて糞が汚いなどの苦情、道路整備や何や人間様の都合で切られるモノもある。
若い、古いだけで他は同じ。
同じ人間、同じ命。
それは木も同じのはず。
でも、言葉が通じない、自分たちよりも劣るモノ、好き勝手に扱っていい存在と思っているから、そうとしか見れないから、祀りあげたり守ったり傷つけたり殺したりする。
人に害ある生物は増えたら殺し、愛玩出来る生物は減ったら増やす。
そんな勝手、きっと許さないし許してやしないだろう。
増えても殖やし、自らの生にのみ執着する人間の姿を見続けてきた彼、彼女たちは。
という話ではなく、1つの木とその木に刻まれた様々な人の記憶の物語。
『贖罪』
湊かなえ
人という生き物は決して賢い生き物ではない。
感情に流されて判断を見誤ったり、してはならないと分かっているはずの過ちを犯してしまったり、取り返しがつかなくなってから己の未熟さに気づいたり、、、
「全ては時が解決してくれる」
誰が言ったかは知らないが、上手く言ったものだと思う。
それが正解か否かは分からないが、確かに時が経てば分かること、見えてくることがある。
納得出来る意味を、理由をつけられることがある。
そのような時に思う。
大事なのはいつもそう。
誰でもそう。
他人じゃなく自分が納得する意味、理由、真実が欲しいだけ。
人間というものはどこまでも自分勝手な生き物だから。
罪深い生き物だから。
常に贖罪を求め、罪に怯えながら死に行く弱い生き物だから。
著者お馴染みの形式である、各々の独白によって紡がれる1つの事件、いくつもの結果。
人間の内面を前面に描くミステリー。
人間こそがミステリー。
ワンパターンではありますが、型があるというのは読みやすいものです。
今ブームらしいですね、湊さんを代表とする暗い系のミステリーが。
そんなに暗い、重いとは思いませんけどね。
普通だと思いますけどね。
それは誰もがもっているものなんですから。
闇と光、正と悪。
矛盾したものを同包する存在。
それが人間、私たち自身の姿であると思っていますから。

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