『けもの道』
藤村忠寿
教えられた「道」を行くのは、確かに分かりやすい。
自分でいろいろ考える必要もない。
でも、そこを行くひとは多いから、自分たちで「常識」という障害を作って、列を乱さないように、ぎゅうぎゅうになりながら、歩いている。
違う「道」を行くと、その時点でもう「常識」からはずれているから、誰も歩いていない。
だから、この先がどうなっているのかはわからない。
行ってみて初めて「ああ大丈夫だ。これならいいや」と、ひとつずつ自分で確かめながら行く。
でもそれは、まぎれもなく「自分の道」になる。
ひとがたくさんいる王道を行くよりも、こっちのほうがたぶんラクだと思うんだよ。
自分の尺度で、自分の実感で、誰も歩いたことのない道を拓いていく。
汗はかくけど、ヘンなストレスは感じないと思うよ。
目の前にあるのが、「けもの道」だとすれば、そこを進むことだけに一生懸命になれるから。
水曜どうでしょう(北海道ローカルテレビ局制作のTV番組)のディレクター藤やんこと、藤村さんのエッセイ。
くだらないこと、無駄なことの中に何かを見出し、真剣にやる。
それは素晴らしいことだと思う。
そうすることが出来る人に魅力を感じる、興味をそそられる。
そういう人の発する言葉、作り出すモノには重みがある。
当たり前で簡単なモノゴトほど言葉で表現するのは難しい。
だから、その言葉に理解、共感することもあれば、その逆もまた然り。
肯き、時にカブリを振りながら読んで欲しい1冊です。
『往復書簡』
湊かなえ
どんなに近くにいようとも、どんなに長い時を共に過ごそうとも、互いの全てを知ることは出来ないし、理解し合うことなど適わない。
でも、フリなら出来る。
直接、あるいは電話を使い言葉を交わすことで。
メールや手紙で言葉をやり取りすることで。
互いの気持ちを探り合い、確認し合うことで、想像を実像に近づけることは出来る。
でも、出来るのはそこまで。
辿り着けるのはそこまで。
交じることはあっても決して重なり合いはしない。
なぜなら、人は他人になれないから。
でも、理解したい、分かり合いたい、重なり合いたいと思う、願う。
だから人は嘘をつく。
他人に、そして自分自身にさえも。
そして、無意識の内に澱重なっていく。
真実という名の下に。
手紙のやり取りを重ねる度に謎が深まり、真実の糸が紡がれていく。
それぞれの主観が交わり、ぶつかり合いながら展開する。
そんな3つの“往復書簡”を収めたミステリー小説。
映画化された『告白』と同じく、客観という存在を出来うる限り排除し、登場人物の主観、独白だけで紡がれる真実ばかりの物語は、人間誰しもがもつの暗部や罪過を白日の下に晒し出す。
真実とは何か。
嘘とは何のために、誰のためにつくものなのか。
悪とは何をもって判断されるのか、正しくあることとはどういうことなのか。
それを問いかけるような作品です。

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