時々ね、置いてきてしまうんですね。
それでしばらく戻ってこない。
そういうことがあります。
本を読んでいると。
たぶん、世界が重なっているんですね。
読んでいる間は。
とても役立つんですけどね、そういう能力といいますか、技能といいますか、何ていうんですかね、そういう感覚はね、本を読む上では。
しかし、ダメージも大きい。
ギブ安堵テイク、ってやつですね。
今回は柴崎さんの作品でそれが酷いっていうか、長旅をされていたみたいで、ちょい虚脱感に苛まれているような、、、ということにしとこ。
うむ、そういうことにしとこ。
今月は6冊。
『女王様と私』
歌野晶午
苦しい、悲しい。
そんな負の感情が極限にまで高まって耐え切れなくなった時、どうしようもなくなったときに逃避する場所。
それが妄想、想像の世界。
そこにいれば苦しくはない。
何故ならば、そこは苦しみや悲しみのない楽園だから。
自分の思いのままになる世界だから。
負の感情が過ぎ去るまでそこに留まっていればいい。
逃げ込んでやり過ごせばいい。
それから現実に戻ればいい。
何もなかったことにして。
そうやって人は現実と妄想(あるいは想像)の世界を行き来し、それを繰り返しながら生きている。
しかし、現実と同じように妄想の世界にも苦しみがあったら、自分の思いのままにならなかったとしたら人はどうするのだろう。
どうなるのだろう。
そこから逃げるために現実へと戻るのだろうか。
それとも更に深遠へと潜っていくのだろうか。
2度と帰ってくることの出来ない、自分以外には誰も立ち入ることも見ることも、理解することも出来ない楽園へと。
インターネット、ゲーム、テレビ、、、
それらに存在する仮想空間、仮想世界は現実からの逃避の助けとなっていたし、今も少なからずはその役割を担っているだろう。
しかし、その逃げ場もまた現実との境が曖昧になりつつある。
一般化、大衆化され、現実世界に吸収されつつある。
逃げ場がなくなってきている。
追い詰められて人たち、逃げ場を求める人たちは何処へ行くのだろう。
新たな逃げ場を作り出すのだろうか。
それとも現実世界へと戻っていくのだろうか。
とまた、本の中身から感じ取ったことばかり書き連ねておりますが、中身はミステリーです。
表紙買いです。
ミステリーの手法というか書き方、オチはよくあるもんですけどね、その世界構成というか、描かれている世界の囲み方、隔離の仕方が巧妙やと思いますね。
『世界の終わり、あるいは始まり』
歌野晶午
振っては戻り、また振っては戻りを繰り返す思考。
しかし、時はその歩みを止めない。
進むのを待ってはくれない。
仮想現実という名のパラレルワールド、あるいは未来という名の仮想世界に逃げ込もうとも現実は変わらないし、変わっていかない。
しかし、ひとつだけ出来ることがある。
それは進む方向を変えること。
未来を選択すること。
その結果が自らの望んだものでなくても、想像とは違ったとしても、それが自分が選んだ道で、掴んだ未来で、辿り着いた現実。
ミステリーなのか、人間小説なのか、それは読み手次第。
話の流れというか、中身、オチはタイトル通りです。
バッドエンドになるのかハッピーエンドになるのか、それはまだ先の話。
そういうことです。
『家守』
歌野晶午
無意識、あるいは意識的に人は家に惹きつけられ、縛りつけられる。
色んな形で、様々な理由をつけて家を出たがるが、出たら出たで戻りたがる。
新しい家、または元いた家へと。
戻るべき場所。
守るべき場所。
最小単位の集合体。
他者のいない世界。
そう信じこみ、疑わない世界。
それが家、それが家族。
その閉じられた小さな箱を開けた時、出てくるのは希望か。
それとも災悪か。
さいです、パンドラの箱とは家のことだったのです。
家をテーマにした短編集です。
ということで、歌野さんの作品は以上。
『土間の四十八滝』
町田康
詩集です。
妄想です。
爆発です。
普通の人は読まないように。
『腹を割って話してみた』
藤村忠寿・嬉野雅道
何かについて考えたこと、思ったこと、感じたこと。
それらのことについて話すこと、語り合うこと。
それが大好きだ。
その“何か”は何でもいい。
傍からみればどうでもいいこと、くだらないことでいい。
むしろその方がいい。
粒餡が嫌いなのに漉し餡は好き、ということについてでもいい。
白ごはんはダメなのに酢飯は大好き、ということについてでもいい。
それが可笑しいとか、変だとかそういうことはどうでもいい。
テーマや結論にはあまり興味がない。
何故そう考えるのか、そう思うのか。
それを聞くのが、知るのが楽しい。
それが何よりも面白くて、大好きだ。
「水曜どうでしょう」のディレクター2人による語り本。
どうバカの皆さんならご存知のHPの今日の日記。
それの延長というか、会話バージョンといった趣き。
時間を持て余した車中での雑談、余談。
普段の会話の中にある笑い。
そういうのが好きな方にオススメ。
というか、どうでしょう自体がそういう番組だしね。
『寝ても覚めても』
柴崎友香
置いてきた過去があって、その続きじゃない今日があって、そこに過ぎ去ったはずのものが急に現れて、続きをまた始められるような気がして、、、
人は何かに引きずられて今を生きている。
過去、現在、未来、望まない現実、覚めない夢、自分以外の誰か、、
あらゆる場所、あらゆる時間の中に、自分の居場所を探し求め続けている。
何もないこの世界で、自分と誰かの世界が重なる瞬間を、世界がひとつになる瞬間を夢見ている。
そして望んでいる。
夢の続きを。
過去にみた未来が、今日という名の現実に変わるその瞬間を。
特別なことは何も書かれていない。
ごく普通の日常があって、ごく普通の人たちがいて、よくある風景があって、よく知った言葉や言葉遣いの普通の会話があって。
でも、それは日記でもなくて、記録でもない。
小説であり、文学なんや、って感じる。
何かが引っかかってモヤモヤする。
それが何なのかが気になる。
文学的っていうんかな、そういう作品や書き方のことを。
よう分からんけど。
そうなんやろな、多分。
自分の思考や感じたことを言葉にするのがとても難しい。
そういう本、そういうモノが好きなんかもしれん。

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