日本人の大多数は御祭りが大好き、もしくは好きである。
そもそも祭りは祀りであった。
今もそうかもしれないけど、そういう色合いは薄くなっている。
それは何故か。
天皇の神格化による神と人との混同、それによる信仰、信奉対象の変移。
祀りの商業化による大衆化、あるいは一般化。
その他諸々。
ともあれ、日本人の中に潜む御祭り体質のおかげか否か、祭りは形を変え品を変え続けられている。
御祭り体質とは何か。
ひと言で言えば、熱しやすく冷めやすいということ。
祭りとは、決められた時、決められた場所で行なわれる。
継続性はない。
あったとしても長くは続かない。
興奮、感情の発露、情熱の発散。
それが日常ではなく、非日常だからこそ惹きつけられる。
ひとときであるからこそ、終わりがあるからこそ盛り上がる。
そして、終わった後は忘れてしまう。
次の祭りが行なわれるまで。
大事なのは祭りの日か、それともそれ以外の日常か。
一過性の行動か、継続性の行動か。
その一点か、その一点を含む総体か。
そこを考えなければ意味はない。
マラソンを完走するのに、100mを全力疾走する必要はない。
重要なのは続けること。
自分なりのペースで、走り続けることが出来るスピードで走ること。
途中棄権しちゃ意味がないから。
まだまだゴールは遠いから、見えてもいないから。
よくスタート直後にダッシュする人たちがいるでしょ(テレビ中継がある大会なんかは特にそうだけど)。
ああいうの見てどう思いますか?
愚かだと思うでしょ?
馬鹿だと思ってるでしょ?
それは目的が、目標が違うから。
行き着く先は同じ自己満足だけども、そんなこと言ったら皆同じ。
同じだけど、そこには確かな違いがある。
だって、そんなペースで完走出来るわけないもの。
だから無理をする必要はないし、するつもりもない。
考えもなしに突っ走る気もない。
それで終わりじゃないから。
大会だけじゃなく、その前も後も、ずっと走り続けたいからね。
自分に何が出来るか、、、
そんなことお前らに言われなくともずっと考えているさ。
ずっと続けているさ。
何年も、何十年も。
アフリカの貧しい子どもたちのことを考えたら、、、
家もなく親もいない子どもたちに比べたら、、、
そんなことを言う奴らのことなんか一生理解出来ないね。
人と比べることでしか得られないモノ、コトに頼っているような奴らなんかに意見されたくないね。
考えた気でいる、何かに、誰かに寄りかかることでしか行動出来ない、言うことも出来ない奴らなんかに興味はないね。
クソくらえだね。
好き勝手に祭りでもやっときゃいい。
オレは参加しないよ。
どうせ終わるんだから。
どうせ長いこと続きゃしないんだから。
祭りなんか大嫌いだから。

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