『ドキュメンタリーは嘘をつく』
森達也
見終わった後に悶々とする、考え悩む。
そんな映像や活字が好きだ。
作った人たちの疑問、葛藤を勝手に感じとり、考え、悩む。
表現者とは、そうでなければいけないと思う。
感受者とは、そうでなければいけないと思う。
そのためには、投げかける側は可能な限りエゴイスティックになる必要があるし、受け取り手も考え悩むという苦を味わう覚悟が必要だ。
しかしながら現実はそうではない。
他人から押し付けられた自主規制、興行主義に流されてしまい、娯楽・短絡・簡略化された映像、活字で満ち溢れるテレビ番組、映画、雑誌、書籍、新聞が迎合され、それらを無垢に楽しみ、信じこむ人たち馬っ鹿。
子どもたちには、やれ想像力がないやら、やれ考える力が足りないやら好き勝手に言うてるけども、同じ言葉を自身に投げかけることから始めたらどうなのかね。
言うことだけすればいいとか、人が空を飛び回ったりする絵が現実逃避の傾向が顕著な例だとか、そう言って子どもたちから発想力を奪ってきたのはアンタらでしょ。
と、話はいつものごとく脱線しましたが、そんなことごとを考えさせられる1冊。
著者はオウム真理教の荒木浩を主人公としたドキュメンタリー映画『A』や、放送禁止歌をテーマにしたテレビ番組などを制作してはるそうです。
「真実は作り出すもの」、「人生全て演技」、「ノンフィクションなど存在しない、全ての物事はフィクションである」、ということを昔ココでも書いたような書いてないような、、、
まぁ、そんな内容も書いてある本です。
今のテレビ、映画に疑問を少しでも感じてるなら、是非とも読んで、考えて欲しい。
『カニバリズムの系譜』
池田智子
人喰い、人肉食について書かれた1冊。
もともとね、大学ん時に人喰い族についての記述読んだことあって、更にその後、聖書や神話、童話、事件ルポなんかを読む中で、そういう記述があることに気がついて、興味そそられたわけ。
羊たちの沈黙も好きやったしね。
まぁ、現在ではタブー視、禁忌とされている人喰いですが、どっかの国ではおそらく今でも行われているんやなかろうかと想像出来るかな。
国によっては法律で人喰いは罪になるとわざわざ銘記している国もあるそうな。
わざわざ銘記するてことは、少し前までそういうことがあったことの裏返しやし、雪山で遭難した人たちが人を喰った話や、人喰い事件を聞いたり読んだりするわけで、現在も何処でそういう事件は存在してて、報道されへんのは伝えてないだけ(殺害したという事実だけ伝え、喰った、死後強姦したなど、その他事実を隠している)とも言えるわけ。
知りたいと思わないと知ることが出来ない。
同じ事実でも都合の悪いことは伝えない。
って、誰にとって都合が悪いんですかね?
事実を伝えることが報道の役割だ、って自分らで言うてるのにね。
と、上記述と内容がかぶってきたんで終わり。
ちなみに臓器移植には反対、かつ拒否。
人を喰らってまで生きたいとは思わん。

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