サッカーではあったけど、エンターテインメントではなかった。
つまり、いい試合ではあったけど楽しめなかった。
戦えるようにはなったけど、それ以上でも以下でもない。
ということ。
以上、日本vsパラグアイの総括。
今月は1度読んだ本を読み直したり(5冊かな)もしたので、初見は7冊。
読んでる本が少し偏ってきました。
来月は新しい作家さんに手を出してみよかな。
『破滅の石だたみ』
町田康
日記と書評が中心の随筆集。
支離滅裂は相変わらずも、ユーモアに溢れ実にオモロイ。
特に『伊八のいる風景』なんかサイコウ。
伊八=パソコンやねんけどね、ともかく、サイコウ。
珍しく噴いてワロてしまうとこやったわ。
コノ独り言もこんなふに書けたらエエのに、、、
なんて思たものの、そんなユーモアセンスも、支離滅裂な思考ももち得ていないことに気がつき、肩を落とす読了直後。
とてもとてもエエ読み物です。
『真実真正日記』
町田康
皆、真実を知りたい。
皆、真実を語りたい。
でも、真実はいつも残酷で、自分自身も含めた誰かを傷つけずにはいられないもの、知りたい、語りたいけど、目を背けていたくなる。
だから、出来るだけ目を背け、見ないように、聴かないようにして、平穏に、なるだけ誰も傷つかないように、誰も傷つけないようにして生きている。
自分自身にすらウソをつきながら。
そのことにすら気づかないままに。
ということが、コノ1冊から感じ取ったモノ、の内の1つ。
でも、そうせんと世の中狂人だらけになるかもね。
とも思いました。
こん前描いてた手抜き模写、モデルはコノ表紙のコ。
かしこ。
『へらへらぼっちゃん』
町田康
作家活動初期のコラム、書評などをまとめた1冊。
書き殴る、という言葉が似合う書き方してはります。
支離滅裂の度合いも今とは質が違うモノ。
それも当然。
年月とはそういうモノ。
変わらないようで変わっている。
形あるモノも、形のないモノも、全て。
変わらない、永遠、それは一夜の夢と同じ。
夢の中で現を嘆くか、現の中に夢を見るか。
なんてことは一切書いていませんがね。
たぶん。
『めくらやなぎと眠る女』
村上春樹
’06年までにアメリカで発表された短編の内、比較的新しい作品(1990年以降)を24編集めた短編集。
本で言えば、『象の消滅』以降、『東京奇譚集』までやったかな?
よう知らんけど。
長編よりも短編が合うかな、個人的には。
長編の半分くらいが恋愛モノで、しかもそれが変態的(らしい)ということで、短編とエッセイ読んでるから、それに慣れてしまっただけかもしれんけど、どこにでもありそうで、一生に1度遭遇出来るか出来ないか、という話ですこれは、って雰囲気が水に合うといいますか、何といいますか、てな具合でね。
まぁまぁ、そういうことでございますよ。
とか言いながら、次は長編読むんですけどね。
へっ。
『夏と夜と』
鈴木清剛
それは、その響きだけで人を魅了する。
誰もが憧れ、そこに辿り着きたいと願い、描く場所。
いつかそこに辿り着いたとしても、誰もそこが憧れ続け、願い、描いた所だとは気づかない場所。
こんなとこじゃない、もっともっと、、、
ここではない、まだ遠く、どこか違う場所。
それが楽園。
捕らわれているのかもしれない。
追い続けているのかもしれない。
まだ遠く、どこか違うとこにあるはずだと信じ、思い込んで。
もう手に入れているかもしれないのに。
辿り着いているのかもしれないのに。
踏み外したのか、落ちたかして戻れないだけなのか、それとも過ぎ去ってしまっただけかもしれないけど。
まぁ、どっちゃでもいいけど。
他人の畑はいつ見ても綺麗で、汚くて、羨ましい。
それだけはずっと変わらないから、今んところは。

『なぜ君は絶望と闘えたのか
本村洋の3300日』
門田隆将
『死刑』
読売新聞社
2冊で1セット、のつもりで読みました。
いつ裁判員に選ばれるかもしれん。
その準備として、知識として、考える機会をつくるために。
というのはウソだけど。
単なる興味。
それだけ。
死刑賛成、目には目を、歯に歯を。
それが昔も今も変わらぬ考え。
いいことだけに報いを求めるのは都合よ過ぎるとは思わないかい?
あまりにも自分勝手なことだとは考えないかい?
親切をすれば、善意を与えれば、少なくとも「ありがとう」のひと言が、それ以上のモノが返ってくる、と思い込んでるでしょ?
それとこれは別の話、、、だと何故言える?その根拠は?それは本当にアナタが考え、導き出した答えなのか?アナタだけの真理なのか?
と、誰かを困らしてみたい。
まっ、困らせたところで逆キレされるか、誤魔化されるか、偏屈者扱いされて嫌われるだけやろけど。
以上。

0