久々に比較的新しい神社に行ってきました。
薪能の準備をしていました。

まぁ、3日前から準備してるん知ってたけど。
明日が本番。
17時?18時?に開始。
当日券は¥3000?
興味ある方は平安神宮まで。
ちなみに、ワタクシは興味ない方です。
この2日間でまた2冊読み終わったので、15冊になりました。
それでは残り8冊。
『誓いの夏から』
永瀬隼介
一家殺害事件、1人だけ生き残った少女。
少女を守れなかった少年が立てた誓い、復讐。
そして19年後、彼は再び彼女の前に現れる。
やがて見えてくる一家殺害事件の真相。
彼は復讐のために現れたのか。
それとも、誓いを遂げるためなのか。
19年前の事件の真相が明かされていく様はサスペンス。
でも、物語の軸となるのは人間ドラマ。
前半(過去)と後半(現在)でメインとなる人間が変わり、視点が変わることによって、1人の人間がもつ色んな表情が見える。
愛憎、葛藤みたいな、感情の奥行きってものがね。
かなり骨太感のあるけど、入り込むと一気に読める1冊です。
『テレビの中で光るもの』
銀色夏生
テレビを見ていて感じる、キラリと光る瞬間。
それを日々つらつらと書いた1冊。
楽しく、面白く、そして興味深くテレビを、そこに映る人たち見ているのが伝わってきて、ちょっとだけ羨ましく感じました。
銀色サンはホンマに絵下手くそやな〜、とも思いました。
下手とか上手いとか、はっきし区別がつくのはいいこと。
どっちつかずが一番困る。
印象に残らへんし、感情や思いの針を振らすことも出来ひんしね。
『スピログラフ』
鈴木清剛
人にはそれぞれの世界があって、その中にもっと小さな世界がいくつもあって、その1つ1つが萎んだり膨らんだり、減ったり増えたり。
そして、その世界1つ1つに自分は存在して、それは少しずつ違う自分で、でもその全てが自分で。
いつも同じ自分でいたいけど、どこか1つの自分が膨らんで大きくなれば、そっちに傾いてしまって、それがもどかしくて、やりきれなくて。
毎日がその繰り返しで、そこから抜け出したくて。
そのためには戦い続けるしかないのか、全てを受け入れることが必要なのか、気づかないふりをすればいいのか、それとも誰かと共感し合い、傷を舐め合って忘れてしまえばいいのか。
皆少しずつ違って、それと同じくらい同じで。
そんな風なこと感じたよな気がします。
『正直じゃいけん』
町田康
正直じゃいけん。
懐かしい響きですな。
そんな矛盾味溢れる正直じゃいけん同様に、ホンマのこと書いてんだか、意図して話の流れを破綻させてんだか、とにかくあべこべ、思いつくままに書いたエッセイ、昔で言うとこの随筆集。
小説にしても随筆にしても、ここまで一貫した書き方をする人は稀有。
それを意図的に行なっているんであれば、、、
まさか、天然なのか、、、
布袋さん(ギタリストの)と喧嘩するよな人やし、とてつもなくロクでもない人なんやろか、、、
って、布袋さんのこともよー知らんし、てか全く知らんし、それを基準に判断するってのもちゃんちゃら可笑しい話か。
『心理テストはウソでした』
村上宣寛
皆が大好きな血液型診断。
誰もが当たっていると感じる心理テスト。
かの有名なロールシャッハテスト。
そして、今も就職試験でも使われている性格テストと客観心理テスト。
そのウソと、信じ込ませるためのワナを指摘した本。
まぁ、思てた通りのことが書いてありました。
あくまでも、人が人を診断するために作られたモノですからね。
完全なる客観性など存在せーへんからね。
それを信じるか否かは宗教と同じで、結局のとこその人次第やからね。
『最後の息子』
吉田修一
オカマのヒモとして暮らす青年。
母を早くに亡くし、今は離れて暮らす兄弟。
高校生活最後の大会にかける競泳部の4人組。
「最後の息子」、「破片」、「Water」の短編3つ。
吉田さんの作品には、よくオカマが出てきます。
第3の視点、中性的側面から見ることにより、書き手でも読み手でもない別の誰か、つまり客観的視点から内容を読まそう、、、
なんてことは考えてないでしょうけどね。
やって、読んでる人がオカマやったら元も子もナイしね。
それにしてもアレやね。
オカマもオタクも何其も、色んなモノがテレビを通して当たり前のモノ、元からそこに存在したモノとして扱われるようになりましたね。
ちょっと前までは嫌悪したり、差別したりしてたのも忘れちゃってさ。
そういうことを昔から繰り返してきたんでしょうし、これからも繰り返していくんでしょうね。
『国境の南、太陽の西』
村上春樹
たぶん恋愛小説なんやろうけど、変質的というか何というか、、、
モノゴトをミクロの視点で見ると(もしくは一点だけを見ると)全体像があやふやになって、かといって本質が見えるかというとそれも見えなくて、、、
まぁ、そんな感じ。
あと、ナルシスティックで音楽的な感じもする。
人は何かを考える時、自分の中に答えがある、そこにしか答えはないと思い込んでいるけど、それは単なる自己満足で、自分と同じように悩み、答えを探し、問いかけている人がいる、それは皆同じで特別なことじゃない、ということに気づくことが大切で、そこから始まることもある。
なんてことを思た気もする。
『また会う日まで』
柴崎友香
本当に覚えておきたいとか、また見たいとか、そういう風に思った風景、景色は撮ってへんのかもしれん。
撮る必要がないから。
カタチにして残す必要性がないから。
本当に大切なモノゴトだとか、自分の中の何かを揺さぶった景色とか瞬間だとかはきっとカタチがなくて、カタチにしようとすると枠に上手くハマらなかったり、零れて何処かに落ちてしまったりして、いつも元のモノとは違う風になってしまう。
だから、写真で見ても同じよな思いは湧いてこないし、何かが違うような気がして、どうでもよくなってしまうのかな。
そんなことを思いました、、、これについては確実に。
読んでる最中に書いたから、この内容は。
長い。
15冊も覚えてられん。
GWと呼ばれる日々のことでさえ忘れつつあるのに、、、
今度から読んでる最中にメモ書きしとこ。

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