最近夜景見に行ってナイでしょ。
これには理由がありましてね、、、
ワタクシ、基本チャーリー通勤してるでしょ。
で、帰り遅いと暗くなるわけ。
通ってるん堤防沿いやから、明かりがナイとこもあるわけよ。
ん?、話が見えない?
夜景との関連性が分からない?
物事には取っ掛かりってのが必要なの。
もうちょい黙って聞き(読み)なさい。
そんで、暗いとこ走ってると段々目が慣れてくるわけ。
元々暗いとこ好きやから気持ちも和らぐわけよ。
しかし、急にまた明かりが目に入ってくる。
車のヘッドライト、外灯、チャーリーのライト。
目に入った瞬間、その明かりのそばが見えへんようなる。
自動車の免許取る時に習ったアレ。
光の交差による死角。
闇を照らすため、見えへんもんを見えるようにするための光やのに、求めたモノとは全く逆の結果を生んでもうてる。
明るいはずやのに見えへん。
何か皮肉やな〜、って思うんよ、コレ体験する度に。
ん?まだ話が見えない?
ココからが本題。
その昔、人は迫り来る闇に恐怖しておりました。
日が暮れ、どんどん暗くなる空。
辺りを包み込む闇。
その闇を照らすために、迫り来る闇への恐怖を和らげるために、人は火を起こす術を身につけ、光を得た。
しかし、闇はなくならない。
「きっと火が、光が弱いからだ」
そう思った人々は、より強く明るい光を求めました。
人々は集団で過ごすこと、光を集めることで闇を照らそうと考えました。
しかし、やっぱり闇はなくなりません。
月日は流れ、文明の進歩とともに人々は、更に強く明るい光を手に入れることに成功しました。
夜になると家々や道に明かりを灯し、町を光で包みました。
ですが、闇は一向になくなる気配をみせません。
それどころか、より闇は深く、暗くなってしまったのです。
「もっと明かりを、もっと光を」
人々は恐怖しました。
光があるから闇がある、そのことに気づけなかったのです。
なんかね、暗い場所から夜景見てると、特に眩いばかりの夜景見てると思うわけ、「憐れやな〜」と。
キレイとか、感動とか、そういう思いが湧いてこん。
そして億劫になる。
またアノ光の中に入って行くことに、照らされることに。
光あるところに闇あり。
闇あるところに光ナシ。
そう、コノ暗い部屋で思う次第であります。
夜景見に行ってナイのは、別にコレが理由ではございませんがね(笑)
何事にも明確な理由なんてナイの。
全て後付け。
やから、何となく理由づけてみただけ。
雨降ってヒマやったもんでね。
人生の何もかも、その全て死ぬまでのヒマ潰し!

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