「あのな、どうして自分が生きているのかなんて、そんなの悩みじゃない。
悩みっていえば、解決しなきゃならないことに思える。
けど、俺が思うにそんなのはもう高尚な哲学だ。
哲学だから、答えなんてない。
一生かかったって、答えなんてきっと見つからない。
そんな風に悩まない奴も人間として信用できないけど、それに対して答えを見つけたなんていう奴とも俺は友達になりたくない。
きっと水晶玉や壺とかを売りつけられるのがオチだ。
だから答えなんてないままに悩んでいればそれでいい、と俺は思う」
(『FINE DAYS』より)
4つの短編からなる『FINE DAYS』(本多孝好著)。
本多さん初の恋愛小説と言われるコノ作品。
でも、そのどれもが悲しみを含み、どこかに陰を落とす。
決して、幸福とはいえない物語。
多くの人は、その“切なさ”に惹かれることでしょう。
うん、そういう読み方がイイと思います。
誰かさんみたいに、ひねくれた読み方はしんほうがね(苦笑)
冒頭のセリフは1つ目の話からの抜粋です。
この後に、彼らはこうも言ってます。
「強くなんてない。だから強くなりたいと思う」
「弱い人間に言わせりゃね、そういう人間を強いって言うのよ」
何度かしたような気がする、、、同じ様なやりとりを。
陰との闘い。
そんなものを、本多さんの作品の中に見出しています。
他人の影ではなく、自分の陰に対する闘い。
それは目には見えないモノで、自分自身が作り出したモノ。
今作、そして今まで読んだ作品のどれをとっても、頭の中に残るフレーズは、それら闘いに関するモノです。
そして、読み終わった後に覚える無力さ、諦めに近い感情。
もちろん自分に対する。
己が表現力の稚拙さを、まざまざと認識させられます。
それと同時に、決意に近い衝動。
闘い続けるための気力。
そんな感じです、読む理由は。
文字にすると上手く表現出来んけどね(苦笑)
今日は出先にお宮さんが来て、エライ迷惑被ったわ。
(ちなみに、お宮さん=皇室の人ね)
たかがオバハン1人のせいで、1時間半も何も出来ず、パンツスーツ姿の女性SPの狩人が如き冷たい視線を浴び、居た場所から追い出され、去った後にしわ寄せくらってしっちゃかめっちゃか、、、
たかがオバハン1人やで。
神でも、その子孫でもなく、たかが人間1人。
平等が聞いて呆れる。
ああいうの見たり、実際に居合わせるといつも考えること。
人ん命の大小、重さの違い。
ああやって警備される人も、警備に当たる人らも、その人を見てる無防備な人らも、皆同じ重さの、同じ価値の命をもってるはず。
でも、あれを見てそう思えるか。
オレは思えへん。
偏見ではなく、平等な目をもって見て思う。
「オレらの命は軽視されている」と。
やからといって、そのオバハンだけを忌み嫌うわけではナイ。
オレがより強く憎むモノ、、、
それは、“軽い命”を有する方々。
それについて全く感ずるところもなく、拍手や嬉々とした声を上げながら、右へ左へ“重い命”様のケツを追いかける。
その無神経さに腹が立つ。
理解できないが故か、それともただのひねくれた感情か。
それは聞き手次第やけども、とにかく許すことは出来ひん。
数え切れないほどある理由の1つ。
オレが皇族や金持ちを、人間を、己を含む人間を嫌う理由の。。。
決して理解しようとはせんように。
ただ「そういう考え方する人もおる」とだけ認識するで良し。
そういうもん、哲学なんてもんは。


0