今日26日は私が敬愛する永遠のアイドル、目標のドイツが産んだ最高のリリックテノール、フリッツ・ヴンダーリヒの75歳の誕生日であります。そして17日は39回目の命日でした。私のクラシック活動は全てこの人の歩んだ36年間を一生懸けて踏襲するのが目標といっても過言ではありません。私のオペラのレパートリーは先ず、彼が手懸けた作品、役を意識して習得していきました。コンサートピースも同様です。極端な話、彼のコピーになれたら最高だ!位に思っていました。さすがに今はフリッツのようには出来ないし、なれない事を自覚しています。人種も違うし、持っている声も才能も違う訳ですから。フリッツは唯一無二な存在であると同時にテノール高野二郎も唯一無二な存在であると思っています。同じ事をやっても彼を越えられる訳はありません。しかし、彼は私にとってマイルストーンです。悩んだ時、苦しい時、彼の歌声を聴くと癒されると同時に私が進むべき道を示してくれるのです。究極の目標です。
私が独学で声楽を学んでいた頃、私の先生は彼のレコードでした(CDプレーヤーは持っていませんでした)。初めて彼のレコードを買ったのは高校生の時。シューマンの詩人の恋でした。何の予備知識もなく買った一枚でしたがその出会いが私を変えました。当時、ハイバリトンで歌っていました。聴いていたのはフィッシャー・ディースカウやへルマン・プライといったバリトン歌手ばかり。この人と出会わなかったらバリトンのままでいたかもしれません。初めて音楽大学を受験したのは高校卒業後。全て独学で準備し某私立音大と上野公園の国立大学を受験しました。勿論バリトンです。結果は私立はこ合格しましたが上野公園はダメでした。もし、あのままバリトンで私立に進学していたら人生かわっていたでしょうね。その後、紆余曲折を経てテノールとして上野公園に通いました。受験時に師事した師匠から「あんたは日本のフリッツ・ヴンダーリヒを目指しなさい。」と言って頂き、希望を胸にテノールのキャリアをスタートさせ現在に至っています。あれから15年。ど
れくらい彼に近づくことができたのかは分かりません。彼のお墓はミュンヒェンにありまして、ザルツブルグの師匠にレッスンを受けに行く度にフリッツのお墓を尋ねます。墓石に触れながら彼とコンタクトを試みます。つたない独語で語りかけます。彼はいつも私の側に感じる事が出来るよう、墓石に生えている苔を一摘み頂いて、ロケットに入れてネックレスに通して身につけています。本番に臨むときのお守りです。
オランダ人の舵手、クリスマス・オラトリオの福音史家、セルセ。この後出演するものは全て彼のレパートリーです。彼と共に舞台に立てるよう頑張りたいものです。
今、彼と同じ年令を生きているんだなあ。
