今日は節分。気づけば春になりますね。今更ですが今年初の記事更新です。初めて一月以上更新をせずに過ごしてしまいました。facebookページ、Twitterはそこそこ更新しておりますが当ブログの記事を情報源として利用されていた方々には大変ご不便をおかけしてしまい申し訳ありません。
1月は脱兎のごとく過ぎて行きました。沢山いろんなことがありました。一々省みるゆとりがありませんでした。私の生活環境が大きく変わってしまったからです。
今月中旬より本格的に父の在宅介護が始まりました。6年前に母が他界してからじわじわと父の衰えを目の当たりにしてきましたのでいつかは、と覚悟していました。具体的に大病を患っているという訳ではありません。勿論精密検査をしていませんのですれば何かの病が見つかるかもしれません。足腰が弱り、歯も抜け落ち、気力が減退し覇気が失われてきました。気分の浮き沈みが大きく、認知症を発症しました。立ち上がり、歩行、着替え等は介助が欠かせません。入浴やトイレ、寝返りの介助は思っていた以上に此方の力を消耗する介護動作だと感じました。私の保護無しには父は生活することが儘ならない、ある意味父の寿命は息子の私に委ねられています。昨年春から老衰度合いが大きくなって様々な問題が生じてきましたので昨夏、介護認定を受け介護サービスを利用を開始しました。認知の症状は老化が原因か認知症起因なのか判断が難しく本人が検査を望んだので調べて頂きました。亡くなった母が脳溢血で倒れる数年前よりアルツハイマー型を発症して介護をしてきた経験は父が同様になった事を冷静に受け止める緩衝材にはなってくれましたが発症前に食い止められなかったことが悔やまれます。現在所謂“斑○○”なのでちゃんとしている時は正常なのかな?と思ってしまうのですがそうでない時の方が徐々に増えてきているため先のことを考えると悲しくなったりします。
父は若い時から強く確りもので厳しくて、たまに垣間見せる優しいと強烈な愛情で家庭と家族を守ってきてくれました。小さい身体に鞭打って身を粉にして働いてきました。65歳で左官を引退してからも自己流ハードトレーニングを日課に鍛え続けました。その結果膝と腰に回復不可能なダメージを負ってしまいました。“いい加減”を嫌う父らしい生き方ではあると思いますがもう少し加減してくれていたらと思わずにはいられません。父の強靭な肉体と精神のバランスが崩れる原因となったのは母が脳溢血で倒れてから他界するまでの7ヶ月間の生活でした。母の介護による過労で風邪を拗らせ肺炎になり危うく死線をさ迷うことに。病院嫌いの父を強制入院させてからの退院後、嘗ての強く怖くて優しい父は姿を消していきました。母亡きあと、心のエネルギーがどんどん萎んで身体も二まわり程小さくなっていきました。息子である私でも父が失った心のエネルギーを全て補充してあげることは難しく、本人自身に気力を回復して貰う以外には元の父には戻ることは難しいでしょう。
今はただ、父が愛した、家族と暮らした昭和33年に自ら建てた我が家で平穏な毎日を少しでも長く送らせてあげたいと思うばかりです。
昨今、家族の介護に行き詰まり不幸な結果を迎えてしまった方々のニュースが連日のように流れて来ます。皆さん真面目で優しいから全てを背負い込んで潰れて仕舞われるのだと思います。介護離職して親の介護をし、介護が終わったら全てを失い自分の老後の生活を送ることも儘ならない。昨今、一度離職したら再就職出来てもそれまでの収入は得られません。それが判っていても目の前の親を見殺しに出来ないから、優しい心根から自分を育ててくれた親への最後の恩返しをするのです。そして滅私奉公の末、生きていけなくなったとき不幸な結果が待っている。そんな事例が今の日本には無数にあるようです。
今の日本は介護する側もされる側も双方が辛い思いをせず平穏な日々を送ることが難しい世の中になってきているような気がします。どちらかに犠牲を強いて得られるものに平穏は無いです。どんな人でも突然介護人、被介護人になる可能性があります。人によっては両方の立場になってしまうことも充分あり得ます。高齢化社会は益々進み認知症を発症する人が増加していくことは目に見えています。最早他人事では片付けられないところにきています。日本は世界有数の長寿国ですが長寿≠健康ということが忘れられています。寿命は延びても健康的になっている訳ではなく医療によって“延命”していると考えた方が良いのではないでしょうか。健康寿命の尽きた長寿の方々の増大。このままでは介護の担い手はどんどん少なくなっていくでしょう。今こそ“老い”と向かい合うことを誰もがしていかないとならないのではないでしょうか。日本の超高齢者社会の到来は予見出来ていたにもかかわらず未だに効果的な施策がなされていないと感じるのは私だけではないでしょう。自分のことは自分で守っていかなくてはいけない厳しい時代だという自覚をもつことです。
高野家では幸い親身になって下さるケアマネージャーさん、ヘルパーさん、訪問診療のお医者さんと非常に人に恵まれて不安感の軽減をしていただき父の日常生活をサポートして頂いています。公的介護サービスが全てを解決してくれる訳ではありませんが、その介護度いっぱいのサービスを受けることが確実に生活の質の向上をもたらし一家の疲弊を防いでくれます。全てを自分で抱え込まず人に委ねられる部分は思いきって人に委ねましょう。認知症の進行を少しでも遅らせる為にも適切な治療と介護を受けられる環境を整えましょう。勿論其々の家庭の置かれた状況、条件は違いますから単純ではないでしょう。でもこれだけは声を大にして言いたい、介護なさる方は先ずは自分の人生を最優先して欲しいです!燃え尽きないでください。1人で抱え込まないで下さい。とても他人事とは思えません。決してご自分を責めないで下さい。自分を責めても状況が好転することはありません。辛くなったらどんどん泣き言言いましょう、毒を吐きましょう。溜めていたら自分が病んでしまいます。
完璧な人なんて居ないんです。
私は父との暮らしを最後の思い出作りと思って前向きに過ごして行きたいと思っています。きっとこれからの人生にも歌い手としての表現にも良い影響をもたらしてくれると信じて。
一番辛いのは体が思うようにならない父自身。だから息子はサポートする。祈りを込めて。