今日は休演日。1日大学出講でした。
東京公演の俳優業も残す所あと16ステージ。今までの経験上、中間点を過ぎるとあっと言う間に千秋楽に向かうので、今回も同じ様に時間が流れています。完全拘束のスケジュールが始まってから早いもので4ヶ月が過ぎました。昨年の制作発表からだとすでに8ヶ月。東京終了後この先もまだまだ晩秋まで続くので1年以上、同じ作品に出続ける訳です。当然クラシック音楽界では有り得ないことです。クラシック音楽界に身を置く自分がこの年齢になってこの経験をしていることはある意味貴重なことかもしれません。
公演が始まってから休演日、降り番日が当然あるのですが、並行して行っているコンサート活動、教育・普及活動にそれらが充てられますので全く休みを取っていない状況です。GWに風邪をこじらせた時も一切休演無し。舞台に穴を開けないこと。これはプロとして当たり前のことなのですが、我ながらタフだなあと思います。
身体のあちこちが悲鳴を上げているのですが(笑)、毎日舞台に上がる生活に身体が慣れたので疲れるのも普通に感じられ特にキツいと思わなくなるのです。今回の公演は様々なハプニング、アクシデントに見舞われる稀な公演になりました。様々なストレスと戦ううちに上手くストレスたちをかわす術が自然と身に付いてきたのかもしれません。正直2月から4月なんてストレス過多で過食気味で太りましたから。公演が始まって落ち着いたら逆に身体が絞れて衣装が緩くなりました。
舞台公演だけだったらどこかで爆発していたかもしれませんが、幸い自分には演奏、教育・普及の活動がありましたから何とか心のバランスを保っていられたんだと思います。
先日のジェイドのコンサートで“マイ・ウェイ”を歌いましたが
「私には愛する歌があるから 信じたこの道を私は行くだけ 全ては心の決めたままに」
この歌詞は現在の私の心の叫びと言っても過言ではありませんでした。
リサイタル、ジェイドのコンサートの感想を沢山頂戴しました。いろんなご意見、ご感想がありましたが共通していたことは、私の歌がちゃんとお一人お一人の心に伝わっていたということでした。若い頃はいい声とか上手いという感想が大半を占めていました。それが最近は“伝わりました”という感想が大変多くなりました。漸く大人の歌が歌えるようになってきたのでしょうか?そんな単純なことではないでしょう。私の歌と聴き手の方々との関係が濃密になってきたと思うのです。4月の習志野公演。不覚にもコンディションを崩し音声障害状態でステージに立たざるを得ませんでした。絶望的状況の中、その時出せる声を全て使って必死に歌いました。楽しみにしてコンサートに来て下さったお客様には本当に申し訳ない気持ちで押し潰されそうでした。でも、皆様の感想は“ちゃんと伝わりました”という旨のものがとても多かったのです。いつもの“クリーミー・ヴォイス”はありませんでした。即席ソウルシンガー然とした声。バス・バリトンのような低音、カウンター・テナーの
ような裏声。歌の要素の八割を占める中間音が全く使えない状態。これが自分の歌と思いたくない、然しそれが厳しい現実。そんな状況下でも客席との濃密なコミュニケーションは成立していたのでした。人一倍、声の美しさに拘る余り、表現の本質を見落としていた自分に改めて気付かされました。自分は歌い手であると同時に表現者です。その瞬間に放つ表現に命を吹き込みます。自分がどのような状態であっても全身全霊で表現すれば必ず伝わる。だからこそ、その瞬間瞬間に全力で居られるのかもしれません。本番時、自分でも考えられないくらいのエネルギーを放出しているようです。“無意識に全力”。多分意識をしたら全力は出せないでしょう。どこかでリミッターが作動してしまうと思います。
物事が順調で楽な時には余り学ばない分、不調で辛い思いをした時に人は学ぶんだなあ、と思わずにはいられません。
この数ヶ月間の経験がこれからの表現者人生の良い糧になったと思えるように明日からも頑張って活動したいと思います。
