電人ザボーガーの主題歌2曲をカヴァーした事で“平成の子門真人”を目指すオペラ歌手として大分認識されるようになってきました。ザボーガーを歌う前から昭和実写特撮ソング専門デュオ“ジュラン ジュラン”の活動もしていましたからごくごく狭い範囲で特撮オペラ歌手として認知されていましたが、ザボーガーのお陰で特撮好きの方々に存在を知って頂けたようです。
高野二郎の“声”は様々な形容をされていますが、一番嬉しい形容が“ヒーロー声”です。
2007年リリースの私の1stアルバム「エッセンス」。漫画家加藤礼次朗さんによるライナーノートにそのことが書かれています。
以下、引用
高野二郎の“声”の価値
アルバムをお聴きの皆さんなら既にご承知のこととは思うが、高野二郎氏の音楽の知識、守備範囲は幅広い。ポップスからオペラ、カンツォーネに至るまで…筆者は職業柄、マンガやアニメーション作品の主題歌をよく聴くのだが、氏はそちらの方面の曲(いわゆる子供向けキャラクター歌謡。アニメソングを縮めて通称アニソンとも呼ばれる)にも明るく、口ずさまれることも多いと伺った。
高野氏の少年時代は日本の子供向け番組の黄金期でもあった。“夕方から早晩にかけては子供の時間”とばかりに、連日様々なマンガ番組がブラウン管(液晶ではない)を埋めつくしていた。主題歌の中には今なお記憶に残る鮮烈な名曲も数多い。登場の子供なら誰でもやっていたことだが、高野少年も憧れのヒーローの…例えば変身ポーズであるとか必殺技などを真似して遊んでいたに違いない。恐らくはそのヒーローの声も含めて…。
“ヒーロー声”というものがある。
きちんとした発声法としてそうしたものがあるというわけではないのだが、明るく優しく、あるいは力強く勇ましく発せられる、誇張のきいたヒーロー独特の熱い声のことだ…“正義の声”といってもいい。筆者も含めてだが、高野氏の世代はその“声”に育てられた。幼少の頃身についた影響は大人になったからといってそうやすやすと消えるものではなく、高野氏の声も(もし声質に正義と悪があるとするなら)紛うかた無き“正義声”である。別に彼の声がマンガチックだと言っているのではない。奥底に流れている熱く澄んだものが似ているのだ。
吹きすさぶ嵐にひとりたちむかってゆくような雄々しさがある。正面から真っ直ぐにぶつかってきて、聴く者を励まし、勇気を与え気持ちを軽くしてくれる清々しさがある。未来を信じて、希望を抱いている人間にしか出せない“声”だ。
何が正義で何が悪か?その境界がはてしなく曖昧になり私利私欲で己の身の安全しか頭にない人間、挫折の原因を他人のせいにしたり「どうせ、どうせ…」と世をすねた人間が多くなっている今の世の中だからこそ、高野氏の“声”は必要とされ、これからもっと活躍の場を広げてゆくことになるだろう。彼のような“声”の持ち主は、実はなかなか居そうで居ないから。
このライナーノートは実相寺昭雄カントクが亡くなった直後に書いて頂きました。2005年オペラ実相寺組最後の主役だった私。加藤さんはその時の衣装デザインを担当されていてそれ以来のお付き合い。実相寺カントクとの出会いが様々な方とのご縁生みました。カントクとのご縁が無かったらザボーガーを歌うことも無かったと思います。昨日が5回目の命日だったカントク。改めてカントク、ありがとうございました!