この1カ月、愛猫、恩師、人生の師にして私の歌の最高の理解者と立て続けに亡くしました。心が折れそうになる。負けないように今を生きる。突然の訃報もある程度覚悟していて迎える訃報も同じくらい辛い。でも誰にでもその日は来る。それをどう受け入れるか。たくさん悲しんで、たくさん思い出して、いつまでも心に刻む。いつも共にあるんだという気持ちが何よりの供養なんだろうか。
どんなに覚悟していてもいざその時になったら悲しみは変わらない。でも悲しめる程の縁があったということは幸せな関係だったと思いたい。
幼少時に兄を亡くして以来、“喪失”対してにとても敏感になってしまい悲しみの感情コントロールが上手くいかなくなることがよくあります。齢を重ねるごとに涙もろくなるとよくいいますが私の場合は幼少時からずーっと脆いまま。いい年して恥ずかしくなる時もありますがこの感受性のお陰で芸術に携わってこられたとも言えるので逆に武器なんだ!くらいに思うようにしています。三つ子の魂は変わらないのですから。
タマ、先生、マスター。これからもあなた方と共にあります。