気付けばカントクが星に召されて2ヵ月。“もう”なのか“まだ”なのかは解らないですが“その日”から確実に時間が流れているのは確かです。
今回は憎っき( ̄□ ̄;)!!○期会の会報に掲載された2005年「魔笛」の公演後記を掲載します。以下、原文のまま掲載。
まだフリーだった時に“監督”演出の魔笛の公演の様子を雑誌か何かで見た。タミーノの衣裳を見て発作的に二期会に入ってこれに出たい!と思った。何故なら地球防衛軍ウルトラ警備隊の隊員服だったからである。ウルトラセブンマニアの私には夢のような舞台に思えたからだ。その後フリーのまま新国の魔笛タミーノデビューを経て、二期会会員になったが密かに隊員服を着る機会が来ることを心待ちにしていた。芸大院在学中に“監督”がオペラ科で教鞭をとられるようになったのだが、私は独唱科だった為“監督”に近づく機会さえ無かった。マニアの私にとって神のような存在の方と気軽に接していたオペラ科の連中が羨ましくて仕方なかった。おまけに院オペラ公演の魔笛に怪獣が出演したなんて話を卒業後に聞かされた時は地団駄踏みまくり。それ故、今回の出演オーディションに懸ける思いは並々ならぬ思いがあった。この演出では自分こそが相応しいと、隊員装備のビデオシーバー型腕時計を身につけオーディションに臨んだ。それだけに出演が決まった時には天にも昇る気持ち
だった。
念願だった実相寺組参加。夢のようなカンパニーだった。大袈裟でなくこの舞台に命をかけて臨んだ。1回から9回までど真ん中に150キロの直球を投げ続けた。コンディション的には他演目との掛け持ちで心身共に万全では無かったがその分完全燃焼出来たのではないかと思う。隊員服ではなくなったが殺陣がつき、ウルトラマンレオのスーツ俳優だった二家本氏にご指導いただけたし、加藤礼次朗氏の素晴らしいデザイン通りの衣裳が私の体の癖を包み隠してくれたおかげでかなりクサ目の芝居をしても不自由にならなかった。楽日には客席にバルタン星人の生みの親、飯島監督が。舞台上から尊敬の念を込め、フルートでウルトラマンの歌を吹いた。
幸せな時間は過ぎ去り思い出が残った。全ての人に熱烈感謝。
本当に会心の舞台だったんです。もう1度だけカントクとやりたかった。今回のゴタゴタがあり、二期会でないカンパニーでやるときにやろうと言って下さったのですがその時にはもうカラータイマー点滅してたんですね、カントク。約束は私がそちらに行ったら。でもあと50年は行きませんから、少なくとも。カントクより年上になってから参りますので。そのときは「ジッソー」と呼ばせてください(^^)v。寺田さんたちのように。
来月はCSでカントクと佐々木守さんの追悼特番がありますね。真夜中ですが頑張って見たいと思います。佐々木さんは来月で1周忌。2001年にご一緒出来たのが思い出です。